昭和40年代ではなく昭和10年代──経済封鎖と外交の硬直化が招いた破局
昭和10年代の国際的孤立と物資不足の実態
昭和40年代の経済封鎖と物資不足という問いかけは、実際には時代を遡る必要がある。昭和40年代(1965〜1974年)は高度経済成長の黄金期であり、経済封鎖の事実は存在しない。むしろ物資不足の記憶が鮮明なのは昭和10年代から終戦直後にかけてだ。日中戦争勃発から国家総動員法、ABCD包囲網による石油禁輸、そして無条件降伏後の飢餓まで、日本は国際的孤立と物理的匮乏の両面で追い詰められていった。
当時、戦争回避の最大の分岐点は蒋介石との講和にあった。蒋介石率いる国民政府にとって真の敵は日本軍以上に中国共産党であり、満州の権益を事実上認めることででも講和を模索する余地は確かに存在した。西安事件が国共合作を強制的に生み、日本の現地軍が華北へ進出を続けたことでその窓は閉ざされたが、外交的には最後までカードは残っていた。
メディア煽動と外交硬直化のメカニズム
それでも講和が実現しなかった最大の要因は、朝日新聞に代表されるメディアの煽動にある。暴支膺懲のスローガンが国民のナショナリズムを過熱させ、妥協は弱腰、講和は売国という誤った等式を定着させた。近衛文麿内閣は世論を極端に気にするあまり、国民政府を対手とせずと宣言し、自ら外交の窓口を閉ざした。軍部の暴走だけではなく、メディアと世論と政治家が共鳴し合う三重構造が、外交の柔軟性を完全に硬直化させた。
現代に甦る構造とブーメラン化する経済制裁
この構造は現代にも鮮やかに甦っている。かつての朝日新聞の役割は今、ショート動画に引き継がれた。複雑な地政学を数秒の断定的なテロップと感情的な音楽で圧縮し、レコメンドエンジンが強硬論を増幅する。冷静な妥協点を探るリアリズムは、敵か味方かの二元論の前でかき消される。そしてイラン情勢に見られるように、国内の不満や政治的延命のインセンティブが外部の危機を煽り、一度煽り立てたナショナリズムは指導者自身をも拘束する。出口戦略を取れば弱腰と叩かれる恐怖が、合理的な譲歩を不可能にする。
さらに深刻なのは、現代の制裁がかつての石油禁輸とは異なり、ブーメランとなって世界全体に跳ね返る構造になっている点だ。イランへの制裁がホルムズ海峡の事実上の封鎖を招き、原油価格は高騰し、LNGスポット価格も跳ね上がった。湾岸地域からの肥料供給が滞れば、数ヶ月後に世界的な食糧価格の上昇として跳ね返る。制裁を課した側を含む世界中の消費者が、物価上昇という形で経済制裁を課せられている。これは21世紀の逆経済封鎖であり、正義の制裁という物語の裏で物理的な連鎖が確実に進行している。
歴史のリアリズムが示す教訓
かつて日本がABCD包囲網に追い込まれたとき、蒋介石との講和という現実的な選択肢があったにもかかわらず、メディアが煽り、世論が熱狂し、政治家がその空気に呑まれた。現代もまた、ショート動画が煽り、SNSが熱狂を再生産し、政治的延命を優先する指導者がその流れに乗る。地政学的な損得勘定よりも、物語の快感が優先される世界では、出口を探す理性はいつも後回しにされる。
歴史から学ぶべきは、外交とは自国の100%を通すことではなく、最悪の破滅を避けるための冷徹な取引であるというリアリズムだ。そしてそのリアリズムは、感情的な正義感や短期的な再生数には決して馴染まない。今の世界がイラン情勢をめぐって陥っている自己封鎖状態を解くには、メンツを捨てた大局的なディールが不可欠だが、それを可能にするだけの歴史的リテラシーが政治にも世論にも十分に備わっているとは言い難い。
