朝日姫の墓前にて幸せとは何かと考える
朝日姫と徳川家康は、
本当は仲が悪く、不遇の扱いを受けていた。
その証拠として、朝日姫の眠る墓から実態を考察する。
「朝日姫はブスだったから、こんな小さい墓なんずら」
私の祖母の家の近くに、徳川家康の正室・朝日姫(旭姫)が葬られている寺がある。
静岡県静岡市にある
泰雲山瑞龍寺である。
その寺は、JR静岡駅からバスで10分程度で行ける場所にある。
観光寺というわけでなく、檀家を多く持っている「普通の」寺である。
朝日姫の墓は、一般の墓が多く並ぶ道を通り抜け、整備された山の斜面の階段を少し上った所にある。
墓自体は大きなものでなく、一般の墓の並びにひっそりと佇んでいる。
私の祖母に言わせてみれば、「朝日姫はブスだったから、こんな小さい墓なんずら」(ずら=静岡弁で「~だろう」の意味)と。
正直なところ、私は同時代の貴人の墓をよく知らないので、朝日姫の墓が簡素過ぎるのかは判断ができない。
旭姫が嫁いでから葬られるまで
朝日姫は、豊臣秀吉の実妹として生まれ、40歳を過ぎてから徳川家康の正室となっている。
所説はあるようだが、朝日姫は当時すでに結婚していて、離縁させられて家康に嫁いだとのことだ。
離縁された元夫は自害したとも伝わるから、かなり無理やりな政略結婚である。
結婚と言っても、
事実上の人質であり、朝日姫が結婚後にわずか数年で亡くなるまで、ずっとともに生活をしていたわけでもないようだ。
現代の感覚だとほぼ別居状態だが、当時は普通のことなのかもしれない。
朝日姫が京都の聚楽第で病死した後、朝日姫は、京都の東福寺に葬られたが、後にこの瑞龍寺に改葬されたという。
瑞龍寺は、朝日姫が生前に駿河にいた際に訪れていたとも伝わる。
また、家康は晩年は静岡で過ごしているので、亡き妻を近くで弔えるようにとの考えもあったのだろうか。
そういった情報を並べると、
朝日姫は政略結婚なりに大切にされていたのかもしれない。
当時の幸せな結婚とは?
もし、現代の女性が、兄の都合でアラフォーになってから離婚させられて、元夫が自殺して、再婚させられたけど新しい夫は寄り付かない、そんな状態だったらひどい話だ。
裁判も起こせる。
しかし、当時は戦乱の時代で、武家の社会では、ありふれた「よくあること」だったのかもしれない。
そうであっても、人間である以上、朝日姫も自身の境遇に憤ったり、涙することもあったのではないか。
もし、朝日姫が日記をつけていて、残っているというのなら、古文書を読み解くための勉強をしてでも、私は読みたいと思う。
朝日姫のような戦乱の時代を生きた女性は、日々何を思い、生活してきたのだろうか。
例え、その時代の「当たり前」「平均」を生きていたとしも、きっと別れは悲しく、病は辛い。
必ず、そこには感情が存在しただろう。
現代の当たり前を生きる私たち
朝日姫たちの時代と違い、現代の日本人は基本的に自由に結婚して家庭を築いている。
しかし、「自由に好きな人と結婚できるから、幸せね」と言われても、きっと多くの若年層は反発するだろう。
そもそも「結婚したくても、いい人と出会えなくて結婚できない」という若者や、「結婚したくても経済的に安定していないから結婚できない」、「おひとりさまが楽だから結婚したくない」、「パートナーが同性だから日本では結婚できない」…などなど、事情は様々だ。
結婚した人はした人で、仕事と子育ての両立に悩んだり、不妊やマタハラに悩んだりする。
正直、現代でも「幸せな結婚生活」というものは得難いものだと考えさせられる。
結婚してるとかしてないとか、立場が違えば、感じ方も違う。そのために、あらゆる立場が多様化した現代人が分かり合おうとするのは難しいのかもしれない。
それでも、私たちは想像することはできる。
「朝日姫はきっと悲しかった」と想像するように、違う立場の「誰か」が悲しんでいるとか、辛いだろうとか、思いやることはできる。
そうやって、私は朝日姫の墓前を訪れるたびに、「あなたが感じただろう悲しみは忘れないし、私たちは今の時代の困難を乗り切ろうとがんばっている」と伝えるようにしている。