圧倒的な国力の差で誕生したB-29による爆撃体験
私がまだ大学生だった頃、私の祖父と祖母が亡くなりました。
祖父母から太平洋戦争の話しは聞かされていました。
戦争当時、私の祖父は背が150cm以下で小さかったので、まだ兵隊に連れていかれず、近所の軍需工場で働いていました。
祖母は背が小さいから兵隊に行かないだろうと思い、お見合いで結婚したそうです。
それが、終戦直前になると、祖父が働いていた軍需工場に、
B-29が爆撃を開始し、もう工場はめちゃめちゃにされたそうです。
その大きさと圧倒的な飛行機の威力を目の当たりにして、もう敗戦になるのは明白でした。
そして、元々農家だったので、細々と農家をしていると、ついに
赤紙が来たのでした。
しかし、その後、なかなか配属先が決まらず、結局、終戦になりました。
それが、私が幼少期に祖父母から聞いた最初のB-29のお話しでした。
アメリカと日本の国力の差が歴然としたもの、それがB-29だったのだと思います。
無差別絨毯爆撃と大量虐殺に使用されたB-29
B-29誕生と共に、
日本各地で無差別の絨毯爆撃と大量虐殺にB-29が活躍します。
早期に敗北を認めていれば、広島や長崎はなかったのかもしれません。
戦争末期では既に、東京を始めとした大都市で数十何人規模の民間人が亡くなっていますし、もう明らかに竹やりで立ち向かうと言った次元のものではないのが明白でしたが、時の政治家たちは強引に神の国である日本が負けるわけがないと教え、戦争を続行しました。
アメリカも時の日本の政治家たちも両方が悪いのだと思います。
しかし、戦争は勝てば官軍なので、アメリカをいくら責めても無駄なのだと思います。
現に、今も日本列島は、米軍占領下のままの基地列島になっています。
米軍が居る以上、何年たっても、日本に本当の独立はもう来ないのです。
最終的には原子力爆弾まで使用されたB-29の威力
それでは改めて、B-29とは何だったのか調査したので報告します。
太平洋戦争時、連合国軍による日本本土空襲の主役は、アメリカ陸軍航空隊の「B-29」でした。
愛称を"Superfortress"(スーパーフォートレス=超空の要塞、ちょう・そらのようさい)と呼ばれ、他に類を見ない高性能爆撃機として、太平洋戦争終盤の日本に大打撃を与えました。
マリアナ諸島からの空襲は1944年11月から本格的に始まり、以降1945(昭和20)年8月に日本が降伏するまで、全国に合計で260回にわたり攻撃を行いました。
延べ1万7500機が出撃し、爆弾約12万個、焼夷弾約476万個、合計16万トンを投下しました。
さらに、広島・長崎への原爆を投下したのも、専用に改造されたB-29でした。
結局のところ日本にとってB-29とは一体なんだったのか
B-29の特徴としては、長距離飛行ができたことがあります。
B-29は爆弾を目いっぱい積んでも片道3,000㎞を飛行することができました。
マリアナ諸島サイパン島から東京まで約2,400㎞、広島市・長崎市まで約2,500㎞であり、マリアナ諸島を抑えられることで、本州の大部分がB-29の爆撃可能範囲内に収まりました。
高い高度でも性能を発揮高度1万m近くでも高速で安定した飛行ができます。
日本軍高射砲(上空を飛ぶ航空機を撃ち落とすたための大砲)は弾が届かないか、届いても当てるのは難しい高度でした。
迎撃(げいげき、迎え撃つこと)のための日本軍戦闘機はこの高度では安定した飛行ができず、効果的な対戦ができませんでした。
これを可能にしたのは、高性能・高出力のエンジンと、当時はまだ珍しかった「与圧」(よあつ)※システムを取り入れたためです。
B-29の機体内部は与圧され、空調も完備していたので、搭乗員は軽装で地上とほとんど変わらない状態で作戦を行うことができました。
※与圧…機体内部を密閉し、圧力をかけることで地上に近い気圧に機体内部を保つこと。
私たちが飛行機で高度1万m以上を飛んでも地上と変わらない状態で過ごせるのは、機体内部が与圧されているため。
大量の爆弾:B-29は機体を大きくすることで、多くの爆弾を積むことができるようになりました。
日本軍の代表的な爆撃機の5~10倍の爆弾を積むことができます。
この機体を大量に揃えることで、一度の空襲でより大きな効果を与えることが可能になりました。
本土空襲では、数十機~数百機の編隊で押し寄せ、大量の爆弾を各都市に降らせました。
終戦までに2,000機以上が配備され、繰り返し出撃しました。
台湾を空襲するB-29:1944年10月18日台湾を空襲するB-29。
期待内部に格納された爆弾を雨の様に降らせている。
多数の機銃とハイテク装備:B-29には日本軍爆撃機の倍の10以上の機銃(きじゅう=機関銃・マシンガン)が搭載され、近寄る敵機を撃墜しました。
また、それまでの爆撃機では、担当の兵が直接機銃を操作・射撃しましたが、B-29では遠隔操作をすることになりました。
その結果、全方位を見渡せる部屋の中で機銃を操作することが可能になりました。
また新たに開発された高性能照準器を備え、弾の命中率が飛躍的に高まりました。
B-29は大量の日本人を殺戮しました。
しかし、圧倒的な国力の差があったにもかかわらず、策謀によって負ける戦いを挑んだ当時の日本の戦争責任者は止むに止まれず戦いました。
これは、今の日本には無い大和魂だと思います。
伝統的に日本人の偉い立場の人は潔く責任を取ります。