維新を経た軍人たちは合理的な判断をした
維新により明治は誕生した。
当時の青年たちが明治政府の中枢になっていった。
彼らは合理的に物事を判断した。
日露戦争の勝利は、その結実だろう。
首脳たちは戦争前をする前から、五分五分の戦況でアメリカに仲裁してもらう計画を立てていた。
奉天会戦での勝利のタイミングを見計らって、ポーツマスにて講和を行った。
もし戦争を続けていたら、ロシアはシベリア鉄道を使い、物資や戦闘員を増強していっただろう。
そして持久戦になり、すでに物資が不足していた日本軍は、負けていたのかも知れない。
日比谷焼き討ち事件からの変容
このような事情もあり、日本は戦費を穴埋めする戦争賠償金を取らなかった。
それに対し、国民は不満を募らせ、新聞は不満をかきたてた。
そして、それを読んだ国民は、また不満を大きくしていき…ついには日比谷焼き討ち事件を引き起こす結果になった。
以来、日本は自分の実力以上に物事を判断するようになっていった、という仮説がある。
一方、対戦時の日本軍は精神主義に走った
旧日本軍などは、その象徴である。
とはいえ、戦争を始める前、官邸は密かに若手官僚に戦争をシミュレーションさせ、彼らは日本の敗戦の結論を出していた。
山本五十六は万一、日本が勝つとしたら、奇襲攻撃をかけ、短期決戦で終わらせるしかない、とした。
しかし、そうはならず、ガダルカナル島やレイテ島では兵站が立たれ、戦艦大和は片道分の燃料した積まず、沖縄に出撃した。
蟻害は軍部だけではない。
言うまでもなく本土空襲、原爆投下といった甚大な被害を日本国民は被った。
現在でも有効な問題として日本人の体質を考える
維新を経て、明治の軍部は身の丈に合った判断のもと、日清・日露戦争に勝利した。
それに対して、なぜ当時の軍部は、精神主義を旗印に、日中・太平洋戦争に至る悲惨な状況を作り出したのだろう。
軍部の官僚たちは、明治憲法の一文を拡大解釈した統帥権を盾にした。
それを許した時代の空気に要因があるのかもしれない。
大本営の発表を信じ、独自の冷静な判断ができなかった新聞に課題を残しているのかもしれない。
歴史に紡がれた僕たちには無関係なことだろうか。
そして、その反省は現在に活かせるだろうか。