ナチスの暗号機エニグマ解読の突破口を開いたポーランド解読者

Marian Rejewski
暗号解読の本を読んで、エニグマ解読開発の苦労を知った
現代の暗号(RSA暗号、ElGamal暗号、楕円曲線暗号等)に興味を持ち、そこから、暗号解読にも手を広げ、サイモン・シン著、暗号解読、新潮社の本を読んで、その当時、解読不能と言われていたナチスの暗号機エニグマがどの様にして、解読成功に至ったかを知った。
エニグマ解読の最大の功労者はアラン・チューリングであるという記事を目にする。
これは
否定もしない事実である。
その前に、ポーランドの暗号解読の絶え間ない努力があったのです。
解読不能と思われていたエニグマ暗号機
1926年から、ドイツの暗号文書の解読率が急激に落ちていったとサイモン・シン氏の本にあるので、この頃から本格的にエニグマが使われ始めたのだ。
また、他の資料で調べてみると、エニグマが開発され、ドイツ軍がエニグマ暗号機を正式採用したのが1925年とありましたので、文献の正確さが分かる。
ドイツの敵国であるイギリス軍、フランス軍が14年間、解読は不可能と考えていたのだから、当然、ドイツナチス軍は最強の暗号機と思うのは当然だし、ドイツ人の頭の良さ、緻密さ、精巧さ等、日本人の気質に似たところが伺える。
ナチスの歴史やその裏について
これまでの歴史の中で
ナチスは酷いことをした過去を持っているのであるが今でも残っているので世界中でナチスはタブーになることが多いのだ。
しかしナチスは軍事の他に人体実験などでも有名になったのだ。
実際にナチスの裏を知っている人間は多いというのが現実であったとしても表に出さない理由は
未だに危険だからである。
ポーランドのエニグマ解読者 マリアン・レイェフスキー
レイェフスキーは1929年に、学位論文を提出し、修士号を得た。
その後、1930年頃からドイツ軍の暗号解読を始めた。
レイェフスキーは、1939年までエニグマ解読に努めてきたが、エニグマ暗号の方法も徐々に改良がされてきて、ポーランド軍としても、限界に来ていたのだ。
それは暗号の鍵を見つけ出すために、総当たりチェックを行なう為の資源が乏しかったことが原因だった。
その後、エニグマ暗号解読はイギリスへ
ポーランド人で解読できなくても、ドイツナチスの敵国なら、解読の望みは託せると考え、自分たちが解読したテクニックをイギリス人に習得してもらった。
その後、有名なアラン・チューリングが登場して、イギリスはエニグマ解読に成功したと文献の本で読んだ。
アラン・チューリングはパソコン計算機の原型であるチューリングマシンを開発したことで有名な開発者だ。

チューリングマシン
こういう風にアラン・チューリングとエニグマが繋がるとは思わなかったし、丁度良い時代に、チューリングマシンが開発されたものだと思わず、奇跡と思ってしまった。
ポーランド人から見れば、ナチスはそれだけ、恐ろしい存在であり、敵国だったことが伺える。
アウシュビッツ収容所を考えれば、怖いと考えるのは当然だ。
また、これだけの国や開発者を巻き込んで、エニグマの解読を行なったことについて、ドイツ人の凄さは勿論、開発物エニグマ暗号機の性能の高さが伺える。
今でも残るナチスの足跡について
過去の戦争の歴史は悲しいものが多いものだ。
あらかじめ言っておくが、歴史というものは戦勝国が改めてデザインする物語であり真実とは若干かけ離れているが、それでも、ナチスは色々な恐怖を与えて消えていったのである。
それらの恐怖は過去の一次資料の中にも、真実を見ることが可能である。
まだ、世界中にはナチスの傷跡が残っているのだ。
それを見ることで私達はナチスに対して恐怖を感じるのである。
こういう歴史は人間が忘れられないものだ。