ナチスが行った意外な政策集
ナチスについては、ユダヤ人に対する非人道的な行為がすぐに頭に浮かび、非人道的、邪悪、議論として取り上げるのはけしからんと、反射的に思いがちである。
しかし、ナチスが当時のドイツに希望を与えたことも事実であるので、冷静にナチスの政策を見つめる価値はあると考える。
もちろん、ユダヤ人に対する行為については、弁解の余地はないが、今回は、ナチスの経済政策についてみていきたい。
ナチスの経済対策について
ナチスの政策については、ユダヤ人に対する非人道的な政策にばかり注目が集まり、経済政策についてはあまり知られていない。
ナチスが登場した当時のドイツは、第一次世界大戦後のベルサイユ条約により巨額の賠償金を課せられ、通貨発行と生産力低下によるハイパーインフレに苦しんでいた。
ベルサイユ条約の賠償金は、最終的に92年後の2010年に完済されたのだが、ナチスは当時の苦境を救うために様々な経済対策を行っている。
公共事業による通貨供給と経済対策
ナチスのとった経済対策はいくつかあるが、その中で
特に失業率に効果があったのが、大規模な公共事業である。
ドイツで有名なアウトバーンは、実はこの時代に作られたものである。
当時600万にいた失業者は、この政策により解消しており、多くのドイツ人がナチスに希望を見出したのは、やむをえないところである。
しかし、このとき、大量の公債を発行しており、その後の軍備拡大のために発行した公債と合わせると、膨大な通貨発行残高を抱えた状態で、第二次世界大戦に突入することになったのである。
まさに、MMTの先駆けである。
積極財政によるドイツ経済の復活
ナチスドイツが皮肉にも、ヨーロッパではユダヤ社会に影響を受けた古典派経済学が主流であったが、 ケインズ経済学誕生日前のドイツでは積極財政を行い、信用貨幣論のもとに第1次世界対戦で経営していたドイツ経済を見事に立て直したのである。
その結果国民の所得は向上し、 次第にドイツの経済力はヨーロッパで一番になっていく。
積極的な財政出動と投資によってフォルクスワーゲンやポルシェのようなドイツ車が、官民主導で生産され、ドイツの工業力を支えていた。
その過程で多くのイノベーションが生まれ、ドイツでは技術の蓄積により、一歩進んだ兵器の開発が可能になった。
ナチスの動物保護政策
1933年、ナチスは歴史上初めて「生体解剖」を禁ずる法を施行した。
ナチス上層部、そしてヒトラーは動物保護に強い関心を持っていたため、動物虐待に関しては「反対」の立場だった。
ユダヤ人や少数民族に対して残忍な殺戮を行った反面、動物保護は徹底していた。
そしてこの法整備は他国へさまざまな影響を与えた。
今でこそ「絶滅危惧種」の保護は当たり前に行われているが、最初にその法整備を行ったのもナチスだった。
反タバコ運動の先駆け
ヒトラーはタバコをひどく嫌悪していた。
タバコは金の浪費でしかないと考え、タバコ自体を社会から絶滅させるべく1930~1940年代に「反タバコ運動」を行った。
タバコ税を極端に重くし、国防軍のためのタバコについては「配給制」とした。
この運動のおかげで、1940年のドイツ国民のタバコ消費量はアメリカの約4分の1だった。
当時のナチスが行った嫌煙広告は「あなたがタバコを飲み込むのではなく、タバコがあなたを飲み込むのだ!」であった。
少子化対策
当時のドイツは少子化に喘いでいた。
夫婦に出産を勧めるため、4人産めば借金の返済額は0にする、という政策を行った。
当時、お金のない若い若者が結婚する時にナチスはその資金を無利子で貸付ける。
普通であれば今後返済していくことになるが、この返済額は子供の数によって変化した。4人産めば自動的に完済ということだ。
シンプルな少子化対策ではあるが、一定の効果をみせた。
医療への貢献
ナチスはユダヤ人などに対して、さまざまな拷問を行った。
しかし、これは民族浄化、憎悪の関係だけではなく、医学的データをとり、蓄積していく目的もあった。
実はその医学データが今日の医療において欠かせない情報となっている。
被験者を0度に近い冷水の中に入れ、体温や脈拍数、筋反応などを記録した。
そのあとに安全に通常の体温に戻す方法を確立すべく研究した。
その研究の成果は「低体温法」の発展に大きく貢献している。