不老不死伝説、八百比丘尼について

不老不死と言われた八百比丘尼

 古来より日本に限らず世界では不老不死に憧れてきました。不老不死を持たらすのは特定の丸薬や肉など、伝説や地域によって様々ですが、日本では「人魚の肉」がそうでした。
人魚の伝説は日本の各地域にあり、一番古い伝説は日本書記にあるとされています。それ程までに古くから不老不死に対する探究が行われてきたのです。
ただもちろん人魚は伝説上の生き物なのでそう簡単に見付ける事はできません。ですが日本史の中で唯一、人魚の肉を食べた女性が1人いました。
その女性は文献にも登場しており、室町時代の記録、「中原康富記」や「臥雲日件録」にその話が書かれています。
その人物の伝説は日本各地にあり、地域によって呼び名は様々ですが、ここでは「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」という呼び名で紹介したいと思います。



八百比丘尼の不老不死伝説

 上記でも話したように八百比丘尼の伝説は日本各地にあり、福井県を中心として中部や山陰、北陸など100箇所以上の地域に及び、その地域ごとの伝説を数えると実に166件にものぼります。

ここまで伝説が各地に分布しているのは、八百比丘尼が様々な土地を旅した事に関係しています。
伝説によって詳細は様々ですが、いくつかの伝説をまとめると以下のような感じになります。
八百比丘尼がまだ人間だった頃の話です。
654年に若挟(福井県)の長者の家に生まれた彼女は「お里」という名を付けられ、何不自由なく成長していきました。 これは、お里が10代半ば頃のお話です。

とある地元の漁師が、地引き網におかしな生物がかかっているのを発見しました。
その生物は一見、18歳くらいの美しい娘に見えるのですが、その下半身はなんと魚で、その鱗は金色に輝いていました。
初めて見た人魚に男は動転しましたがやがて我に返りよく確認してみたところ、その人魚はどうやら死んでいるようでピクリとも動かず、胸に耳を当ててみても心臓の鼓動は感じられませんでした。
仲間の漁師を呼びどうするか思案していると、漁師仲間の中でも一番の年長者が、「人魚の肉はとても美味しいと聞いた事がある。どうだろう?この人魚の肉を肴に村人も呼んで宴を開いてみるというのは」と提案。
仲間は皆頷き、早速人魚の肉を持ち帰り、言い出しっぺの年長者の家で宴を開きました。 その宴にはお里の父親も呼ばれて参加しました。
宴に参加した者の中で人魚の肉を今まで口にした事がある者は当然いませんでした。
それは唐の国とも手広く貿易をしており、様々な品物を扱っているお里の父親も同じでした。
結局、その肉は気味悪がって誰も食べませんでした。結局、その肉は皆で分けて家に持ち帰る事に。
父親は家に帰りますが、どうしても食べる気にならなかったので肉を包みに入れて部屋に隠しておきました。

ですが父親が部屋にいない時にお里がその肉を見付けてしまい、全て平らげてしまいます。
お里は知らずに人魚の肉を食べてしまったのですが、肉の効果は翌日から現れました。
もとよりお里の容姿は整っていた方なのですが、昨日までとは明らかに違います。
一言で言い表すならば、「人を惹きつける不思議な魅力を醸し出している」という言葉が似合う程に、明らかに今までとは違う雰囲気の娘となっていました。



お里の噂は村中に広まり、隣村からも次々と縁談の話が舞い込むようになり、お里は結婚します。
ですが年数が経ってもお里は美しい容姿を保ったままで一向に年をとる気配がありません。
やがて夫が先に死ぬのですが、お里の容姿は肉を食べた時の若い頃のまま。
その後も何度か結婚するのですが夫に死に立たれ、お里の知り合いも、当然ながら両親も先に死んでいきます。
ですがお里の容姿はいつまで経っても変わりません。

やがて村人から「あの女は生気を吸い取る人外の者だ」と薄気味がられたお里は村に留まることは出来ず、一人旅立ちます」
ここまでが後の八百比丘尼であるお里が、人魚の肉を口にして不老不死となり、村を出るまでのお話です。

この辺りのお里はとても辛かったでしょうね。
子供よりも先に両親が亡くなるのは致し方ないとしても、自分が愛した夫と何度も死に別れるのは相当に辛いと思います。
しかも追い打ちをかけるように村人からも偏見の目で見られるわけですから、とても耐えられるものではないでしょう。

この後のお里は全国を旅する事になります。

その旅の中でお里は何をしたのか?続けて説明していきたいと思います。

村を出たお里は120歳の頃に剃髪して尼僧となり、八百比丘尼と名乗り全国を周ります。
その旅の中で、お里は一遍上人が始めた時宗(じしゅう)を広めるための踊り念仏に参加したり、仏閣を建立したり、井戸を掘ったりなど様々な活動に取り組みました。
お里は主に人助けなどの善行を多く行ってきたと伝えられています。
また、お里は椿の花が大好きで、手にはいつも椿の花を握っていたそうです。
旅の途中でお里は椿の苗の植樹活動もしており、お里が旅をしたと言われている北陸や東北の沿岸には、今でも椿の群生林を見る事ができます。

お里が植えた椿の花が現代まで伝わっているのはちょっと神秘的です。

ちなみに、お里=八百比丘尼は今まで「不老不死」と紹介してきましたが、その寿命も終わりを迎える時がきます。



八百比丘尼の最後

 不老不死と言われた彼女ですが、終わりの時がきます。
もともと伝説の中には人魚の肉を食べて得られる寿命は1000歳という言い伝えもあり、お里は800歳になった時に国主に200歳の寿命を分け、死期を悟ったお里は生まれ故郷である若挟に戻り、「空印寺」というお寺にある洞窟に入定したと伝えられています。
入定とは尼が瞑想をしながら静かに死を待つ事を言います。
お里は洞窟に入る前に洞窟の入り口に椿の花を植え、「この椿の花が枯れたら、私の命が尽きた証拠と思って下さい」と言って洞窟に入り、最後を迎えたと言われています。

ちなみにお里が最後を迎えた土地には諸説あり、現在の福井県の他に、三重県の草生という場所にも八百比丘尼の終焉の伝説が残っています。
とはいえ、最後の土地は福井県の若狭であるとされている事が多いので、こちらの方が八百比丘尼の最後の土地として有名ではありますね。

八百比丘尼と秦一族の関係について

 八百比丘尼の伝説が多いのは先に説明した通りなのですが、伝説の中にはその正体がはっきりと描かれている説もあります。

これは福井県の金川寺というお寺に伝えられている伝説です。この中では八百比丘尼は漁師の娘ではなく、「千代姫」という名前の、かの聖徳太子に仕えたとされる秦勝道の娘とされています。
しかも食べたのは人魚の肉ではなく、「九穴の貝(くけつのかい)」という、貝殻に9つの穴があるアワビです。
この貝を食べた千代姫は800歳を生きる八尾比丘尼(やおびくに)となって諸国を旅したと言われています。
(この伝説では八百比丘尼ではなく、八尾比丘尼と呼ばれています)

漁師の娘と比べると、秦一族の女性という事で、ある程度、実像はしっかりしています。

ちなみにこの秦一族というのは古代氏族の中でも謎の多い一族とされています。
この一族は日本人ではなく、中国の王族の末裔という説もあれば、ユダヤ人という説まであります。

この秦一族が日本に渡った際に様々な知識や技術を伝えたとも言われており、聖徳太子以後の時代でも、権力者を多大な財を使って陰から支えていたと伝えらています。
つまり日本を陰から支えていた一族なのです。

まさしく裏世界で生きてきた一族なのでその存在の証拠は多くはないのですが、活躍していた世界が裏世界と言われれば資料などが少なくても仕方ないとは思います。

ちなみに現代でもユダヤ人は世界を陰から支配しているという陰謀説も根強くあるわけですから、ユダヤ人説もある秦一族と何らかの関係があるのかもしれませんね。

でもそう考えると、この八百比丘尼伝説はただの不老不死の伝説だけでは終わらないのかもしれません。
日本の裏世界を陰から支えていたと言われている秦一族の出身と考えれば、この伝説は現代でいうような陰謀説のような意味合いを持った伝説の可能性もあるのかもしれません。



まとめ

 秦一族の事を書きましたが、私個人としてはこの一族とは無関係であると信じたいです。本当に人魚の肉を食べて不老不死になり、全国を巡って善行を行ってきたと考える方がロマンがありますから。

ちなみに八百比丘尼が洞窟に入定する際に椿の花を植えたと書きましたが、この花、実は枯れずにまだ咲き続けているという目撃談があります。
もしそうなら「この椿の花が枯れたら、私の命が尽きた証拠と思って下さい」と言っていた八百比丘尼はまだ生きている事になります。

もし生きているのなら、是非とも会ってみたいものです。



    

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