神の眷族に見守られる古の墓所〜茨城県古河公方公園の歴史〜

茨城県古河公方公園は、約25ヘクタールの広大な自然豊かな開放感のある美しい公園である。
古河公方公園は2000年代までは古河総合公園と呼ばれていたが、多くの総合公園にある体育施設は設置されていない。





世界的にも認められている古河公方公園

茨城県古河公方公園は広大な敷地面積を誇り、そこかしこに自然の美しさと豊かな歴史を感じることが出来るスポットだ。

茨城県の古河公方公園はその眺めに誘われて訪れる人が多い。


季節ごとに様々な種類の花を咲かせることから、四季折々の美しい自然を堪能することができ、その見事な絶景を見に毎年たくさんの人が訪れる公園でもある。

様々な木々や草花だけでなく、野鳥を見ることができる自然あふれるお大きな公園だ。

古河公方公園は、日本で初めて「ユネスコ メリナ・メルクーリ国際賞」という、名誉ある賞を受賞した公園として知られている。

これは、世界の主要な文化景観の保護と管理を目的にした活動に対して送られる賞である。

この賞の審査対象に「芸術的観点から造られた造園や公園風景」が挙げられていることから、古河公方公園がこの賞にふさわしいことが分かる。

この公園は、世界的に認められた歴史ある公園だと言えるだろう。



古河公方公園に咲く四季の花々

古河公方公園は、四季折々の美しい花々を楽しめる公園として、多くの人々に親しまれている公園である。

梅や菖蒲、ススキなどまさに四季折々の植物を楽しめる。


特に春先の桃と夏の古代蓮は圧巻である。

春には、約1500本の花桃がピンク色の花を咲かせ、矢口や源平、初夏にはふじ、花しょうぶ、あじさいを楽しむことができる。

公園内には「公方様の森」があり、周囲が沼に囲まれており、イヌシデやコナラが主体の雑木林となっているエリアがある。
早春にはアカゲラの木を鳥がつつく音がこだましており、夏は木陰で涼む人々が多く訪れている。


春になって暖かくなったらピクニック、3月頃は特に桃の花が満開で見どころです。
この時期は市内の人だけではなく、近隣の市町村からたくさんの観光客が訪れることでも知られている。


夏には、約3000平方メートルの蓮池に古代蓮の実を発掘した発芽に成功したとされる大賀一郎博士の「大賀蓮」が咲き誇るが、訪れた人々を魅了しているのだ。
さらに、藤、菖蒲、紫陽花などの花が咲き、蓮池一面には大賀ハスが咲き誇り、どこを見ても美しい風景画広がっている。

これらの美しい花々を見るために、毎年多くの人々が古河公方公園を訪れているのだ。

紅葉シーズンには、落ち葉を足でサクサクと踏み締める秋の訪れを楽しむことができる。


敷地面積もとても広いので、お散歩やランニング、子供たちを遊ばせたりする遊具などもあるので、お出かけするのにもぴったりの場所です。

四季折々の自然を楽しみたいなら、四季を通して私達に様々な景色を見せてくれる場所である古河公方公園に足を運んでみてはいかがだろうか。

森林浴を楽しみながらゆったりとお散歩することもおすすめである。


とにかく広々としていて、ゆったりと時間を過ごすことができるので、1人でも楽しめますし、ご家族や、カップル、お友達ときても自然に癒されて、有意義な時間を過ごせる場所だと言えるでしょう。

公園内にはちょっとしたアスレチックや遊具もある。

小さな子供連れの家族などには楽しいことこの上ない。古河公方公園は総じて、ロケーションが美しく、開放感を感じられる観光施設だ。


また、自然だけではなく、古河公方ゆかりの史跡もあるので、自然だけでなく歴史文化に触れることができるのだ。



古河公方公園の桃林について

古河公方公園には、桃林があるのをご存知だろうか。
これは、この公園が開園された時に、古賀市の職員が「花桃」という、観賞用の桃を植えたことによりできたと言われている。

しかし、桃の花が咲くようになったのは、公園ができるよりずっと前であると言われている。
江戸時代の初期に、古河城主の土井利勝が、江戸で家臣の子供たちに桃の種を集めさせ、古河の農民達に育てさせたことから、この地に桃の花が咲き誇りようになったことが始まりだそうだ。
そして、明治時代になると、花見シーズンに臨時列車が運行されるほど、昔からこの辺りでは桃の花が人々に親しまれていたのだ。



交通アクセス

古河公方公園の最寄駅はJR宇都宮線の古賀駅だが、公園まで徒歩40分程度かかるので、バスやタクシーを利用するのがオススメである。
下車後、タクシーやバスで約10分。
古河市循環バスが通っている。

バスは、古河駅から「ぐるりん号」というコミュニティバスが出ているので、こちらを利用するとスムーズにアクセスできるだろう。

ちなみに、ぐるりん号は、Suicaが利用できないため、注意が必要だ。

公園の開園時間は、日の出から日の入りまでである。

ちなみに、園内には街灯がないので、日没時間が早い秋冬に訪れる場合は、注意が必要である。

所在地

〒306-0041 茨城県古河市鴻巣399−1

蛇足ではあるが、昔この公園は古河総合公園という名前だったので、現在の公園名に使われている古河公方自体よく知らなかった、という市民も多いと思う。

古河公方公園の公園内に古河公方の墓所がある。
先日、この墓所を訪れた時、大変神秘的な光景を見た。

さて、そもそも公園名にもなっている古河公方とは何者だろうか。



古河公方とは?

古河公方公園のほぼ中央には富士見塚と呼ばれる丘があり、関東を一望する景色を楽しむことができる。

古河公方公園の名称にとられている「公方」とは鎌倉公方のことである。

鎌倉公方とは、室町幕府の将軍が関東十カ国を治めるために設置した鎌倉府の長官のことである。

当初は鎌倉を拠点としていたが、足利成氏が古河に拠点を移した。

古河公方(こがくぼう)とは、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏 享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移したことで初代古河公方となったのである。(享徳の乱) 

その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれる。


足利成氏によって建てられた中世城古河公方御所の跡について触れぬ訳にはいかない。
足利成氏は古河に移って古河公方館を建てた。

ただし、その館を本拠地としたのは2年ほどで、その後は古河城に本拠地を移したのだ。


御所は主に古河城。
古河城は南北に1800メートル、東西に550メートルの大規模な城だったが、明治7年に取り壊された。

また、城跡のほとんどが渡良瀬川の洪水を防ぐための河川改修工事で取り壊されたのである。


古河公方は鎌倉公方の嫡流とみなし、両方をあわせて関東公方と呼ぶこともある。(Wikipedia)


要するに、昔、古河にはお城があってお殿様がいたのだ。
古河公方5代目の足利義氏さんのお墓が古河公方公園の中にあるんですよ、ということだ。


なかなか歴史深い古河公方公園ではあるが、住民はあまり気にしていない。(と思う)


当時の建物は現存していないものの、城跡の大半、徳源院跡、御所沼などこちらの公園内に点在している。

それらは歴史好きならずとも、歴史ロマンを感じさせる魅力にあふれている。


往時に想いを馳せ、悠久の時を感じるのは楽しい空想である。

私がその墓所の存在を知ったのは、たまたま公園内にハスの花を見物しに行った時に母親に言われたからである。



〜桃林の中に突如現れる杉の木に囲まれた藪〜

「ここにお墓があるの知ってた?」
公園内でハスの花を見たあと、強い夏の日差しを避けて桃林の木陰を歩いていると急に母親が言った。
「そうなの?」
私は知らなかったが、キャンプもできるこの巨大公園はあちこちに石碑や保存された古民家などがあり、墓くらいあっても不思議では無いとも思った。


母親に案内されて桃林を逸れると、杉の木に囲まれた藪が目に入った。
周りは整備された公園の木々や通路なのだが、いきなりそこだけ鬱蒼とした藪と背の高い杉の木が数本生えていて、違和感を感じる。


藪に足を踏み入れると杉の木に夏の日差しを遮られ、急にひんやりとした空気になる。
(あれ、ここ入っていいのかな)

当然ここは公園内なので禁忌の場所などない。


場所も桃林の通路を少し横に入っただけ。
しかし、円形に杉の木がくるりと墓石を取り囲み、そこに向かって一本細い道が通る鍵穴のようなデザインの場所を見て不安になる。
薄暗い細い道の先のその墓所が、完全に外界と違う空間のように感じられるのだ。
一本道と円形の空間の入り口には看板が立てられ、この墓所のいわれが書かれているのが見える。
看板があるということは見て下さいということだ。


とりあえずそこまで行ってみようと母親と歩いて行く。
看板奥に見える墓石が目に入ると、「あ」と二人で声をあげてしまった。


烏だ。


二羽の烏が、墓石の両側に居た。
まるで神社の狛犬のように、綺麗に対になってとまっている。
烏はこちらを見ると、翼を広げた。
まるで来るなと威嚇されているようである。


杉の木からの木漏れ日を受けて逆光になった烏はかなり大きく見えた。
それはとても神秘的な光景であったが、同時に恐ろしさを私たちに感じさせた。


「も、もういいから行こうか」
「そうね」



私も母も、烏の存在に驚いてそそくさと墓所を後にした。
日差しの強い桃林に続く道に出てほっとした。



しかしあんなところに烏が二羽も居るものだろうか。
まあ、公園内のキャンプ場などのおこぼれ狙いの烏がいてもおかしくはないだろう。
しかしあの墓所はキャンプ場からは離れている。



帰りの車で母親に
「いや、烏にびっくりして入れなかったね」
と言ったら、
「三本足じゃなかった?」
とからかうような声で言われた。


いやあ、まさか。
よく見てなかったし。
足が三本あったら、Jリーグのマークでお馴染みの八咫烏(ヤタガラス)という神のお使いの烏ではないか。


こんな田舎のうらぶれた墓所にそんな大層なものは参上しないだろう。
二羽居るならつがいで、あの墓所にでも巣を作っていたのかもしれない。
それなら威嚇されたのも納得できる。



でももし神の使いである烏だったとしたら?
最近、幽霊の寿命は400年である、という話をネットで見たのだが、本当かもしれない。


1583年、42歳の若さで最後の古河公方当主、足利義氏は亡くなっている。
それから437年経ったわけだ。
若くして亡くなり思い残すことがあったが、現世の思いを断ち切り、神のお使いである八咫烏がやってきたのではないだろうか。


私はひょっとすると、幽霊が神になる瞬間に立ち会えたのかもしれない。
そんなことを考えてしまう夏の午後だった。





    

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