宗教とお金

お金とお布施(財務)

今回は重大な問題なので神や仏を使った商売について書いているのですが、宗教批判を批判する親父の意見も踏まえて財務(浄財)について書いておきましょうかね・・・

そもそも、筆者は宗教が維持していくためにはお金が必要であることは認めるが、信者に対して功徳(ご利益)を餌に浄財を集めることには断固として反対する立場であります。

しかし親父は「朝も昼も夜もいつもお金が必要だから財務の功徳はじゃねえか、俺は不眠症なのにお前は生活するために寝てばかりで働かないじゃないか・・・」という。

これは宗教への寄付ではなくて、単に息子は無能者とでも言いたいのでしょう。

これでは、宗教信者の論理は、現実性を包括した論であるとは言えません。

浄財が大事だと諭す宗教団体の理論

基本的に宗教団体は浄財について、教団ではなく神様や人類の救済のために集めた浄財(財務)を払うと言いますすけど、財務を強制をする団体には一円たりともお金を出したくありません。

神様仏様にお金を寄付するより、貯金出来れば自分のためになると思います。

というのは、今だけ金だけ自分だけ論になってしまうかもしれませんが、宗教勢力が政治に介入し絶大な権力を持っている現状でも20年以上経済が停滞した日本では、人類の救済など妄想話ではないかと思われます。

神様の為に教団が財務を使うのも集団的自衛権と同じく、解釈の変更ですから新興宗教にはお金がかかるという事実を見えなくするということを見逃してはいけないと思います。


信者は教団に寄付を辞めないようになってほしくないから、母にまで別口の財務をお願いしているのです。




困ったときは本当に宗教が助けてくれるのか?

某政党の司法書士は、すぐに借金問題に動いてくれるという事を言っていましたが、これって、よっぽど本人はお世話になったのだなとは思います。

私は借金まみれではない宗教はサービス業と言いたいです。

何故か某政党にお礼の事を、お布施と言っていましたが、理由はさっぱりわかりませんね。

教祖が絶対的力を持つ瀬戸内寂聴と池上彰の大ファンですね。

その話を大晦日の朝に聞かされて、よくよく聞いてみると、亡くなった息子が(息子の前でそういう言葉を言える所も面白いですが)時が経つと解決してくれる、これを仏教的な話ではなく、普通の言葉で祭事や布教が必要だと言ってくれるという事らしいです。

今の僧侶なんて税金が優遇されるものでしょう。

結局のところは、利益が出る範囲の宗教ビジネスではないのか?というのが筆者の考えです。

私は別に仏門に走っているわけではありませんが、どこの僧侶も笑顔で墓買ってと言っている金の亡者です・・・。



死について考える

まあテロ教団は活動する金があって初めて活動できるわけであって、結局、美辞麗句を語ってもお金は必要な要素であると言えます。

教団内で自分が発言力を持ちたいと、巨額の財務で自分を立派に見せる宗教者というのは、結構寄付額が多いのですが、ちょっとでも教団にとって不都合な行為をすると破門されるためお勧めできません。

いまにいる寂聴ファンってかなりそうだと思ってます。

説法を聞いても感動をしないといいますか、良く売られていますよね。説法テープ10巻とかですね。

その話によれば、朝のテレビで登山家だかピアニストだかが、死んだら土に帰るという事を言っていて、あれどこかで聞いたなと思ったらエホバの信者に勧誘された時、同じく寄付について言っていたと思い出しました。

キリスト教は死んだら土に帰るのですね。

やなせたかしが、死んだら愛する家族の元に帰りたいなどと話していたような気がしましたが、結局死ななきゃ分からないよなと私は思うのですけれどね。

例えば肉を食べる前から、肉を食べ終わった後の事を語るようなもので、まあ立派な供物もただの気休めだとか、信仰にお金がかかるものがあるのかなあと思っているのですが・・・。

結局のところ、死について考えると、お金の使い方は生を充実させるためのものでなければならないと思います。

しかし、中年なんで宗教への布施は自発的にしろという圧力が親族からかかりますけど・・・。





宗教詐欺には注意が必要

キリスト教にも仏教もどうでもよく、新興宗教は全て詐欺だとおもうので無くならないでしょうかね・・・。

そういえば、身体を使ったボランティアや人助けも施行だと騙されたくないとは私自身思います。

騙されたくはないのですが、破産するほどの献金を一生のうちに何回かして騙されてしまうのですね。

普通の人は普通の財産管理や手入れのスキルで十分という考え方もあるでしょうね。





    

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創価学会の1円財務には功徳があるのか?
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