JAL123便事故とは?

JAL123便
JAL123便事故は、1985年8月12日に起こった航空機の墜落事故です。
ボーイング747型機に乗った524人の乗員乗客のうち、生存者はたったの4人。
520人もの犠牲者を出したJAL123便航空事故は、単独機による事故としては、現在でも世界最悪の事故です。


単独機で最悪の墜落事故


JAL123便は、羽田空港(東京国際空港)から伊丹空港(大阪国際空港)に向かう定期旅客便で、羽田空港を出発して間もなく、機体の制御不能のトラブルにより墜落したということが、一般的に言われているJAL123便墜落事故の原因と結果です。

事故の原因は、機体後部にある、客室の気圧を保つ圧力隔壁の破損から、客室内で急減圧が起き、また客室から噴き出した空気が尾翼を吹き飛ばしたものと断定されました。

ボーイング社も、それを認めたからです。

しかし、この説にはかなり無理があり、もっと深い闇がある陰謀論が囁かれている事件であります。

この事件に関する事故報告には様々な矛盾点や疑問点があり、未だに様々な方面から民間では調査が進められいます。

一方では、日航123便の航空機事故は事故当時から様々な憶測や陰謀論が展開され、現在に至ってもデマ情報が流れているという指摘も存在する。

» 日本航空123便墜落事故の陰謀論的な考察はデマである

様々な疑問点や矛盾点について

この事故は、知れば知る程、疑問点が幾つも出てくる事故です。
ここでは主たる疑問点だけを挙げたいと思います。


圧力隔壁説の嘘

圧力隔壁説が破損して、客室で急減圧が起きた場合、客室はまず真っ白い霧が立ち込め、客室内の空気は壊れた圧力隔壁から外へ出ていくので、客室内は後方へ向かって強風が吹き、止めていない物は飛び散り、シートベルトをしていない乗客や乗務員も飛ばされてしまうはずです。

ところが、123便では爆発音の後、一瞬薄いもやが立ち込めましたが、乗客達は耳が痛くなることもありませんでした。

酸素マスクは自動的に落ちましたが、コックピットの機長、副機長、機関士の3人は最後まで酸素マスクを着けずに操縦を続けています。


急減圧の状態が起こっていないのに、圧力隔壁が破壊されたことが原因と言うのは成り立ちません。



救助が事故から13時間後

ボーイング747型機はジャンボ機ですから、墜落すれば地元の人達には、その墜落場所がわかります。

当然、群馬県上野村周辺の人達は、警察に正確な墜落場所を次々と通報しています。
しかし、警察は記者達への会見で、長野県に落ちた、長野県にある御座山(おぐらさん)が墜落場所だと発表し、記者達は一斉にそちらに押しかけました。

そして、一晩中現場探しをした挙句、本当の墜落場所である御巣鷹山に救助活動が行われたのは、なんと事故後13時間が経っていたのです。

生存者の話では、墜落直後はかなりの人数の声がしていたと言うので、もっと早く救助が行われていれば、生存者はもっと多かったはずです。

アメリカ軍の救助を断る

たまたまJAL123便と管制塔の会話を聞いたアメリカ軍の輸送機が、御巣鷹山が燃えたのを見つけたのは、墜落後20分も経たない19時15分くらいでした。
アメリカ軍では、厚木基地から空挺体を現場に派遣し、隊員を下ろして救助活動を始めようとしました。
その時、「日本側が救助を行う、全員帰還せよ」の命令が下ります。

日本政府が救助を断る理由がわかりません。
この時、つまり事故後すぐにアメリカ軍から、墜落現場の正確な位置を政府も警察も聞いているはずです。



謎の残骸収集

尾翼の残骸や部品が海に沈んでいる」「航空機の残骸を引き上げようとしない」「現場へ向かった若者の話」などがネットにも載っていますが、彼らの話では、事故現場に着いた時、そこでは自衛隊員が何十人もいたということです。

ところが、大勢のうめき声を無視するかのように、自衛隊員達は怪我人の手当てや救出活動は一切行わず、現場で何かを拾っては、上空でホバリングしているヘリに吊り上げていたと言うではありませんか。


このヘリは、上野村の多くの人々にも目撃されています。
この証言で、自衛隊も、政府も墜落現場の正確な位置を知っていたことになります。

一体、自衛隊は人命救助をせずに、何をしていたのでしょう。


事故はねつ造か?

JAL123便事故は、後に事故調査委員会によって、事故の原因や経緯、当日に何が起こったのかについての詳細な分析がされている。


しかし、それは表向きの発表であり、事故を装いつつ、事故の裏では闇の勢力の利益のためには、邪魔な存在を事故に見せかけて殺害するのが本当の理由だと言う憶測も存在している。
また、闇の勢力の利益のために、当時の日本政府が協力をしたと言う、日米合作の捏造事故であると言うレポートも存在している。

飛行経路のねつ造

JAL 123便墜落事故が陰謀論であると言うレポートによると、JAL123便は相模原湾上空でアメリカのF4戦闘機によってミサイルで攻撃され、期待の右翼が損傷。
しかしそのまま航行を続け、御巣鷹山上空付近で空中分解したとレポートでは報告されている。
その後、自衛隊により付近の捜索が行われたが、戦闘機のミサイルによって破壊した第四エンジンと右翼の一部が発見されないように隠蔽するための工作であるという内容である。


根拠としては、公開された管制塔とJAL123便のパイロットとの間で交信された通信記録と実際に事故で公表された飛行経路には、多くの矛盾点が存在するからである。

墜落現場のねつ造

墜落現場を捏造する理由は、空中分解した JAL 123便の航空機の残骸が、ミサイルによる攻撃であることを世間に知られないために墜落現場についても嘘の報告がされているとレポートには書かれてある。
よって、 JAL 123便の残骸は広範囲に離散し、今もなお航空写真でその残骸が一部確認できるとされている。

自衛隊によって隠蔽された証拠

墜落したJAL123便の航空機のコックピット周辺の残骸から大きな火が上がり炎上していることについて、なぜか燃料タンクの近くではない前方部分から大きな炎が立ち上っていることが不自然であり、 この炎は、火災を装いながら、自衛隊がフライトレコーダーを焼却するための隠蔽工作であるとレポートでは証言されている。




事件の真実

JAL 123便事故は、ただの航空機事故ではなく、日本人520名の命を犠牲にして、闇の勢力が利益を得るための殺人事件であると言うのが、陰謀論レポートの主張だ。
つまり、これは事故ではなく事件であるということだ。

本当のJAL 123便墜落の経緯と原因

レポートについて簡単にまとめると、日本航空123便は相模原湾上空で横田基地から飛び立ったアメリカ空軍のF4戦闘機によって撃墜された。


ミサイル攻撃によって JAL 123便の旅客機の右主翼が破損したが、そのまま航行を続け途中で空中分解した。
空中分解により、広範囲に渡って飛び散ったJAL123便航空機の破片は自衛隊が回収し、証拠を隠滅。

というのがこの事件の真相であるというのかレポートの報告だ。

事件の黒幕

JAL123便撃墜事件には、アメリカのグローバリズム勢力が深く関与している。
そして、アメリカに媚びへつらっていた、当時の首相だった中曽根康弘が、この事件を裏で後押ししてアメリカの利益のために日本を売ったとレポートでは報告されている。


中曽根康弘の葬儀が国葬級のものであり、必要に盛大に行われたことは、アメリカの闇の勢力の利益のために、働いたお礼だと言われている。

この事件を引き起こした闇の勢力の目的

この事件の犯人の目的は、航空機に搭乗していたパソコンOSトロン開発技術者の殺害、及びプラザ合意に反対する財界人の殺害である。


トロンとは日本で開発されていた、当時windowsより優れていたパソコンOSであり、トロンが開発、販売されていればマイクロソフトのwindowsに今のような繁栄はなかったという。


また、プラザ合意によって、ドル円相場の為替レートが固定ではなくなったため、日本の対米輸出企業は外圧によって不利益をこうむったのは事実である。
それを反対しようとした日本の経済人を抹殺し、プラザ合意を容易に実現するために、多くの一般人を巻き込んだという、アメリカの強欲資本主義の悪魔の所業であるというのが事件の真の目的であるとレポートには記載されている。




最後に

人命を後回しにし、政府や自衛隊は何をしていたのでしょう。
人命よりも大切なものがあるでしょうか。
また、事故の原因自体が疑わしいのですから、私達も、また特にご遺族にとっては怒りが収まる訳がありません。

これでは、空の安全が守られているとは言い切れません。
再調査は行わないどころか、国土交通省は、123便の調査書類を処分してしまっています。

この陰謀は誰に依って行われたのか、そして、いつかこの事故の本当の原因が明らかにされる日が来ることを祈ります。



    

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日本航空123便墜落事故の陰謀論的な考察はデマである
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