日本の縄文時代がなぜ長いのであろうか?

縄文時代のイメージ
縄文時代のイメージ
縄文時代とは、日本で栄えた古代の文明であり、13000年にも及ぶ長い期間、人類が平和な時を過ごした時代のことである。
縄文時代は温暖な気候と豊かな食料供給があったため、 ほとんど人と人の間に争った形跡がなく人類稀に見る平和な時代であったと言える。
なぜそのような平和な縄文時代が1万年以上にわたって維持されてきたのかは、様々な説があるがとりあえず考察してみる。

結論から先に言うと、それは縄文時代の人々が稲作文化を拒否し続けたのだと思っているのだ。

日本は他の国々に比べて珍しい縄文時代と呼ばれる時代が1万年以上あったのである。


人類は猿から人に進化したのか元々人類だったかはともかくとして、アフリカから世界に拡散し、ヨーロッパに到達した人類は環境に適応すべく白人の元になった。
人類の祖先がアフリカの土地からヨーロッパに移動した時には、まだ氷河期が終わっておらず、冷たい土地を進んでいくなかで、冷たい風や氷は人類の食物を奪っていくのであった。
原初の人類は、本当に力のある祖先だけが生き残って行ったような気がした。

その一方で日本はどうであろうか。

大陸から切り離された日本列島は海の真ん中に移動していき、海風がよく当たり日本の近海を流れる黒潮のおかげで大変温暖な気候に早くからなっていった。
草木が生い茂る程よく育ち細長い列島で九州や関東から火山が噴火して溶岩の侵食が始まり、深い河ができそこへ雨水などが溜まっていき湖や沼に成長していった。
縄文人も何度も地震を感じたと思った。
土地が大きく揺れる地震はその時代特に脅威だと思いだ
地震が起これば高波も起こり、高い山脈では山崩れが起きて一瞬にして見慣れた風景が変わって行った。



縄文人は多くて5万人

日本の地形は山が深くて山の地形に沿って川が入り組んだように流れて行き、川の本流から枝分かれした小さな川もあちこちに流れていって深い地形を作っていた。
小さな川をたくさんの魚たちが群れを成して上流まで泳いでいく。
入り組んだ海では砂浜が広くできて天然の塩、海苔が目の前に広がっている様子が浮かんできた。
この地形は災害でできたもので一瞬にして川や海が高い波の塩害で被害に遭っても、残された住人たちは少し離れた地域に移動すればまた食料が目の前にあり生活に困ることは無かった。
日本に居着いた縄文人は5万人ぐらいしか住んでいなかったことや、平野の少ない洪水も多い日本で住めなかったのが文明が長く続いた理由だと私は思っている。

食べ物が豊富な日本列島

縄文時代の食べ物はどんぐり・くるみ・栗などの自然に採取できるものが大半である。
貝塚と呼ばれている生ごみの捨て場を調査すると、はまぐり・あさり・カキ、動物ではイノシシ・シカ・熊、などを食べていたようで、魚類は釣りをすれば簡単に釣れたのでタンパク質も楽に取れたのだと思う。

北九州に日本最古の田畑が作られた形跡があり、縄文人も稲作を独自の技術で佐賀県で細々とやっていた形跡もあり、食べるものにそこまで困っていない縄文人たちは、大規模な水田を使って稲作をする必要は無かったと私は思っていた。
稲作文化を生活の中心に取り入れると、豊かに暮らしていけないと直感的に縄文人は思っていたのだと私は思う。




    

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