凶事を予言して死ぬ妖怪 件(くだん)

妖怪「件」の絵

件とは

件とは、江戸時代後半から記録にある、顔は牛、身体は人間、或いは顔は女性、身体は牛、という妖怪のことです。
昔は、山中でよく目撃されていたそうです。
最も古い記録は、文政10(1827)年に、越中国立山(現在の富山県:現在も立山という町は存在します)に現れたものです。

山で山菜取りをしていた人が、顔は人間ながら、身体は牛の姿をした妖怪から、「これから疫病が流行る。死者が多数出るが、私の姿を絵に描いて身に着けていれば、その人は疫病に罹ることはない」と、言ったそうです。

この頃は、この妖怪の名前は件ではなく、『くだべ』と呼ばれていたそうです。
それが、いつしか『くだん』へと変わって行ったようです。

くだんとして呼ばれた最古の記録は、天保7(1836)年のことで、丹後国(京都府の北部)の倉橋山等、複数の場所で目撃されています。

件の特徴は、
という点です。

件のはく製

日露戦争を予言した件をはく製にしたものが、長崎県長崎市の八尋博物館にあった、という記録も残っており、写真も残っていますが、博物館が閉館した後、はく製は行方不明となっています。

件の予言

件が実際に行った予言を挙げてみましょう。

慶応3(1867)年

出雲の田舎で顔が人間で身体が牛である件が生まれ、「今年は豊作になるが、その後病が流行る」と、予言して死んだ。

明治42(1909)年

長崎県の五島列島の農家で牛が件を産み、それが「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだ。

しかし、実際には、日露戦争は1904年~1905年に既に起こっていました。
その後ロシア(ソ連)と戦争をするのは、1945年8月になります。



昭和(戦後)~

この頃から、顔が牛、身体が人間の件が現れ始めます。
そして、特に件が現れたのが、兵庫県西宮市周辺でした。
しかし、この時期件は予言はせずに、ただ戦後の焼け跡で動物の死骸を食べていた姿が見られたり、肉を扱う店の家の中の座敷牢に件が閉じ込められている、という話が伝わっています。
この頃は、予言をした、という記録は見られません。

1991年

この年は阪神淡路大震災が起きた年です。
この時は、震災後に現れているので、予言をしたかどうかはわかりません。

神戸市内を警備していた警備会社の社員が、何人も、「神戸の東側地区に、着物を着て立って歩く着物姿の牛を見た」と、報告しているのです。

2011年

この年も東日本大震災が起き、東日本を中心に、日本全体が大変な被害に遭いました。

この時も、大震災後に自衛隊員が何人も顔が牛、身体が着物姿の件らしきものを見ています。


2016年



熊本地震の後にも、件を見た、という話が聞かれました。

最後に

平成になると、件は災害が起こった後で見られるようになりました。
何故でしょう。
しかし、この時代になっても見られるということは、件はやはり実在し、大災害や疫病と関係のある妖怪のようです。
もしかしたら、新型コロナについても、どこかで予言し、自分は死んでいったのかもしれません。




    

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