イースター島のモアイ像について

そもそも、イースター島とは何か?

イースター島について、名ばかりで場所を認識している人は少ないのではないだろうか。
太平洋にぽつんと孤独に存在する小さな島で周囲にはほとんど島らしい島が存在しない絶海の孤島。
大きさは163.6 km2(日本だと宮古島程度)現在人口は約6000人、産業は観光、国はチリ領域で19世紀の後半に実際に島にたどり着けたポリネシア人が付けた名前でRapa Nui(ラパ・ヌイ)が現地語名。
日本ではスペイン語の復活祭(イースター)に由来している。



モアイ像について

モアイ像とはチリ領イースター島にある石像で、人の頭だけの像が並んでいるのが特徴である。

南太平洋、イースタ島には、巨大な石像モアイが数百体存在している。

周囲60kmしかない島に約900体ものモアイ像が存在している様子は、一昔前はムー大陸の残存部分であるとか、ミステリアスなイメージで語られてきたが、近年研究が進み様々なことが分かってきた。

多くの研究者がこのモアイ像を調べ、様々な論説を立ててきたが、いまだ正解はわかっていない。
作られたのは7世紀頃から17世紀くらいまでに建造されたと考えられている。

姿形は、初期の物は人間に近い容姿を持ち、3m程度のものになるが、時代が進むにつれディフォルメされていった。


大きさは3.5mから20m、重量は一番大きいもので90トンにも達するこのモアイ像は十七世紀ごろまで作られていたと言われており、それ以降はイースター島で起こった部族間での争いによって次々に破壊されていった。
現在モアイと聞いてイメージされる姿は後期のものである。


また、後期には未完成であるが、約20mに達した物も存在している。

さながら競うように量産・巨大化されており、長らく部族感同士の対立、戦争による結果であると考えられていたが、現在は発掘や研究の結果、たくさんの武器や傷のある遺体がほとんど発見されなかったことからこの説は疑問視されている。

ともあれ当時約一万人以上の島に900体以上のモアイが存在していた事実は異様というしかない。

これらのモアイが石切場からどのように設置場所に運ばれたかといえば、近年の研究により、当時島に豊富に生えていたヤシの木をソリにして引っ張ったと考えられている。


現在のイースター島には木がほとんど生えていないが、先住民がいた頃は木が生い茂っていたと研究者の調査で考えられている。

先住民たちの手によって、木を伐採した後、モアイの下に置き、木を転がすように海岸まで持っていったのだ。
モアイを作ることが環境破壊につながってしまったのだ。

その結果、どうなったかというと、島にヤシの木が無くなった。


これほどの人口をもつ孤島に建材その他に必要な資源が無くなったのである。
また木が無くなることで、水捌けの悪化など土壌状態も極端に悪化したと思われる。

結果土地は痩せ、人口は激減し、モアイの建造もストップしたのである。


あまりに環境問題を抱える現在の世界に暗示的である。

近年ではこの文明崩壊は先住民による自然破壊が原因だとする説と、西洋人の侵略が原因だという説の両方が提示されている。


モアイたちは今日も誰もいなくなった島で美しい海辺を見つめている。
いつの日か、地球から人類がいなくなり、私たちの遺した文明だけが残る日が訪れるのかもしれない。



モアイの謎とは?

一番の謎はモアイ像が存在する目的である。

モアイの顔は一体一体違い、亡くなった祖先の顔を刻んだのではないだろうかと考えられてきた。


その他の理由として、作った目的として、墓や守り神としての役割が考えられる。

モアイたちは、皆海を見つめるように配置されている。

外敵を恐れさせる守り神としての役割があったのではないかと考えられる。

ただ、ロンゴロンゴと呼ばれる先住民のたちの神官文字は解読がいまだできておらず、真実は明らかになっていない。


これらの像が作られた目的としては、祭祀目的で立てられたとの見方がありますが、いまだに詳しいことはわかっていないのである。

島の歴史についてもわかっていないことが多く、これまでは島に住んでいた人々は石像を作り、動かす技術がないため南米の人々が作ったと考えられていました。

しかし、研究が進む中で、島の自然が破壊されて原因のひとつに木を切り出して生活に使用していたことや、モアイ像の製作と運搬で森林が破壊されたことで自然が破壊され文明が自滅してしまったとの考え方もされるようになりました。

高度な文明を持っていたと考えられている島民も19世紀には100人ほどまで減少し、病気や抗争で滅んでしまいました。

島で起こった森林破壊の主因はネズミによる食害だったとも言われており、イースター島はその衰退の原因でさえ特定されていない謎の島なのだ。

近年の調査で台座から人骨が多数発見された墓碑説、超自然的な力「マナ」崇拝説、水の守り神説などあるがいずれも明確な証拠が存在しない。

目にサンゴ質の石灰岩がはめ込まれ儀式の時に使われていたと推測もされている。

石を削り出して作ったことは分かっているが、運搬方法もはっきりはしていないのが現状だ。



モアイ像で使用された石材

モアイ像の材料となったのは「凝灰石」である。
これを採石した場所は「ラノ・ララク」と呼ばれる、直径およそ550mの噴火口跡である。

その付近にはあらゆる石像を作るために使用されたとみられる道具が残されていることから、この辺りでモアイ像に使う石材を集めていたことが分かった。


噴火口から火口縁の低い部分に切り込まれた溝を通過して下降して、そこから南北、そして西の3方向へ放射線状に道具や材料が見られ、長いものだとイースター島の岸までおよそ15kmに渡り、石像を掘るために使われたとされる道具や材料が散乱しているのだ。

どのようにモアイ像が作られたのかを、考古学者のヘイエルダールが現地住民の協力を得て実験を行った。

その方法は、横倒しにしたモアイ像を、木で作られた「ころ」に乗せて、住民達が縄で引っ張り、木の棒と石を積むことで立たせるというものであった。

これにより、モアイ像を設置することは、モアイ像が設置された当時の人口や技術でも可能であったとヘイエルダールは説明した。



モアイが二足歩行で歩いた伝説とは?

モアイ像には、移動された形跡がある。

巨大なモアイ像を当時の先住民が島の各地に移動させていた方法も多くの実験により検証されているが、私は現地に伝わる「モアイは自分で歩いた」という伝説も面白いなと思っている。

モアイの運搬方法には丸太やソリを使いで縄で引っ張るというような誰もが想像できる運搬方法ではない可能性が高い。
それには島民に現在でも伝わる不思議な言い伝えがあり、モアイは歩いて移動したというものである。
これは何らかの理由でモアイを立たせた状態で運んだことに由来するのではないだろうか。



最新の研究や調査から立たせた状態で搬送する方法が有力説

運搬途中の放置モアイには共通点があり進行方向にはうつ伏せで、切りだした山側にはあおむけで倒れている。
これはモアイを立たせて運搬させたことの証明となる。

また、どのモアイにも底面が斜めにカットされ前方に約9度傾くくことが判明された。
実際にはモアイの上部に縄を左右に張り、交互に引っ張ることでモアイを立たせた状態で自走させた運搬方式が想定される。
某教授の実験の動画がYouTubeに乗っているので興味のある方はチェックして欲しい。
Easter Island moai 'walked'見れば納得してしまう。
現代人の常識で考えられないことを実践する古代人の不思議にはとても魅力がある。

» 超古代文明の魅力



モアイ像についての感想

私がイースター島に行ったのは中学校3年生の時だった。

私の両親は旅行が好きでしてよく海外旅行に行っていました。


そして、今年(私が中学3年生の時)も「どこへ行こうかな~??」って迷っていたら私がちょうど中学の授業でモアイ像についての授業だったので私は「ちょうどいいやん」と思い、両親に「私今年はモアイ像を見たい」と言ったら両親が簡単に「あ、そうやな!興味はなかったけど一回なまで見てみたいしね~」と言いっていた。

そして、モアイ像を見に行った。

行ってからの感想としましたら「悲しいイメージ」が第一印象だった。


ちょくちょく草に覆われている部分もあったのでちょっとそこが私に取ったら「長年ほっとかれているのかな~」と思うようになりましたが、これこそが世界文化遺産に登録される要素なんだな~と思ったのである。
私はこの要素を何らかの形で世界に発信していきたいと思いましたのでインスタやTwitterに過去に行ったイースター島の写真をのっけて行けたらな~とも思うようになったのである。



    

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