マザーテレサの黒歴史を解説

マザーテレサの資産

マザーテレサの清貧で献身的な自己犠牲のイメージからは想像もつかないと思うが、実は、現在語られているマザーテレサ像は、全て嘘だということではないが、カトリック教会によるプロパガンダであり実際には別の黒歴史の顔を持っている。
今回はそのようなマザーテレサの裏の顔を暴露していく。

マザーテレサといえば貧しい人々のためにその身を犠牲にしてまで尽くしていくというイメージであるが、 その功績の裏腹に黒い噂がまことしやかに囁かれている。
まず死を待つ人の家についてですが、たとえ助からないとわかっていたとしても、精一杯に介護したという形跡はない。
しかし死を待つ人の家の実態は非常に衛生環境が悪く、劣悪な環境であり、患者がどれだけ苦しもうと薬は一切投与されない。
それに対して、死を待つ人の家の資金面が乏しいという考えがあるが、マザーテレサがなくなった時点での、彼女の資産は銀行預金で48億円も持っていた。

48億円もの大金を持っていたにも関わらず、死を待つ人の家の患者には一切医療的な処置はされなかった。
48億円もいるあれば、インドではまともな病院が何個も作れるような金額である。



しかし、マザーテレサは、48億円もの資産を持っているにも関わらず、一切病院を作ることもなく、死にかけている人を看取り続けた。

なぜ、マザーテレサは48億円の資産で人々を救わなかったのか?

マザーテレサには莫大な資産があったが、人々の救済のためにお金を使わなかったその理由は宗教家にあるというのが定説である。
キリスト教には受難と言う、のたうち苦しめながら死んでいくことを美しいとする思想がある。
受難とは苦しみに耐えることは素晴らしいことであり、 マザーテレサによるキリスト教の解釈である。
実際にマザーテレサを取材したジャーナリストによると「どうしてこんな馬鹿げた考えを持てるのか」と憤っているようである。

死を待つ人の家の実態

では、マザーテレサは実際にどんな看病していたのか?
マザーテレサは、苦しんでいる人に対し、ひたすら耐えろと言い続けた。
死を待つ人の家の実態は、痛みに苦しむ死にそうな人に 「痛みに苦しみながら死ねば天国に行けるんですよ」や「痛みに耐えることは美しい」といったことを言ってきたのであった。
痛みに耐えろ!ってとても恐ろしい思想の宗教みたいですね。
実際にマザーテレサの実態は、危険なカルト宗教と変わりがなかったようである。

考えは歪でも人々を救いたいという信念は本物だったのか?

マザーテレサは、死を待つ人の家の人々には、痛みに耐えろと言ってきた。
しかしマザーテレサ自身が 、心臓病になった時は清潔で設備の整った近代的な病院でペースメーカーを入れる手術をしている。
患者には痛みに耐えろと言いながら、マザーテレサは麻酔薬を投与され治療を受けている。
他人には不衛生な環境で、 ろくに痛みをを和らげる処置されされなかったのに 、自分は快適な環境で手術を受けていたのである。

   

ゆがんだ宗教観

しかも、マザーテレサは、神なんて実際にはいないんじゃないかと何十年も悩み続けていた。

結局マザーテレサは、 神がいることを認めることが出来ずに死んでいったのである。
痛みに耐えることがキリスト教の教えであるのならば、神であるキリストを心から信じていたはずである。

しかし、神なんているのかな?なんて考えながら、痛みに耐えるなんて言っているのだから、それはもはやキリスト教ではなく自分の考えではないだろうか?
しかし、マザーテレサが貧しい人々を助けているというデモンストレーションを多くの人々にとって、精神的な支柱となったのは事実である。

現実のマザーテレサ

現実のマザーテレサは、 貧しい人々を大々的に救った聖女だと言われているが、その実態は不衛生な環境で、よくわからない宗教観を患者に押し付けながら、一切医療的な処置をせずに人々を看取っていたというのが現実のようである。


聖人認定されたマザーテレサ

色々といわくつきのマザーテレサは、カトリック教会によって聖人認定をされたのは事実である。
カトリック教会にとって聖人認定されるということはものすごい名誉なことである。
聖人認定される条件として、 まず専門家による審査が行われこの人物は聖人認定をされるかどうかふさわしいか検討される。

さらに、二つの奇跡を起こすことが聖人認定の条件である。
奇跡とはその人がいなかったら起こり得なかったことである。
マザーテレサの場合は、 2003年にマザーテレサに乗ったインド人女性の腹部の腫瘍が消えてなくなったことである。
そして2015年に脳腫瘍を患っていたブラジル人男性がマザーテレサに祈りを捧げたことで回復したということである。
この二つの条件によりマザーテレサは聖人になってしまったのである。
その裏には凋落するカトリック教会の権威を復活させるための、 権威プロパガンダであると言う政治的な意図が内在している。
マザーテレサ自身も「私は聖女ではない、周りがそう言っているだけ」 と語っていたようである。
マザーテレサは日本に来日した時には、日本の中絶事情を見て、日本は資源は豊かだが心は貧しいと悲観していた。

» マザーテレサとはどのような人物だったのか?




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