人の思いや念は残るのだろうか

仏教や神道の世界観や宗教観といったものは、世界の宗教の中でも独特で、量子力学の考え方をすでに教えの中に内包していることが驚きであった。
はるか昔の先人たちの知恵には、最先端の力学である量子力学の世界の考え方さえも、すでに体系化されていていたことに驚きを隠せない。
それぐらい量子力学の考え方と、仏教や神道の宗教観というのは共通することが多いのである。


これは、キリスト教にはない考えで、祖先とのつながり輪廻転生と言った考えは、まさに量子力学のことを言っているようであり驚きである。
人の念は死んでも、消えることなくどこかに存在するということは、これからの世界のごく当たり前の考えとなっているのかもしれない。


そして最近では、 日本のアニメでよく異世界転生モノというジャンルがあるが、この転生という概念も、仏教や神道の考えであり、命は流転しまた新たな命へと姿を変えるということは、世界の人々に受け入れられつつある真実であると思う。



世界を旅していたら様々な死んだ人の思いに巡り合った

私は特に心霊的なものを見たことも聞いたこともない。
しかし時折、異様に恐怖を感じる場所や涙が流れる場所というものに出会うことがある。
日常生活においては特に何も反応することがないが、異様に恐怖を感じたのが南米を旅行中に訪れた教会だった。

教会のステンドグラスや装飾の美しさに惹かれ、他国でも訪れることが多い場所ではあるが、米スペイン語圏ではキリストや聖母マリアの人形が飾ってあり、人々はその人形に祈りを捧げる。

地元の教会のステンドグラスの装飾

南米には信仰心の強い人が多いらしい。
そういった人形を小さな博物館のように展示している場所や小さな地元の教会など、人々の祈りを何十年も時には100年近く受け続けた人形たちを見ていると、特に恐ろしい表情をしているわけでもないのに、異様に恐怖を感じその場から逃げ出したい気持ちになり、いつもなら装飾やデザインなどをじっくり観察するはずが速足で通り過ぎていた。

そして同じく南米ペルーにてミイラを見る機会が2回ほどあった。

一人は呪術師が寿命を終え、それでも守り続けるためにミイラとして保存された人。

その人を見た時には特に何も感じることなく こういった文化が世界中にあるのだろうな。
という感想だった。
そして別の博物館にて子供のミイラを見る機会も得た。

その子供たちは生贄とし神に捧げられた。

神に好まれるようにその集落で一番魅力的な子供を選ぶという。

その説明を聞いたからかそれとも全く関係ないのか?

悲しいという感情もなく涙が止まらなかった。
南米ペルーの古代遺跡の写真
南米ペルーの古代遺跡の写真

そして、日本で古戦場を訪れた際も、その場では特に何もなかったが、睡眠中に人なのか沢山の人に髪の毛を引っ張られるというイメージが沸き上がった。

(こういったことは以前もあったので、その手をつかんでは折って投げるということを繰り返すうちに目が覚めたが・・・)

全ては私の思い込みでただの勘違いや夢なのかもしれない。

それでも何年も何年も強い祈りを受けた人形にそうして体が残っていようが無くなっていようが物言わぬ人たちもその生涯の終わり方によっては、いまだに強く思いを残していてその思いに予期せず触れることがあるのかもしれないと思うのである。  

人類の歴史とは死んだ人々の想いが形になったもの

先祖崇拝や骨壺におじいちゃん、おばあちゃん、死んだ息子の骨を入れてお墓に祀るという風習は、死んだ人の想いを大切にする日本の伝統である。
これは、日本人特有の感覚ではなく、世界の多くの国々でこのような風習が確認されている。
また先祖代々の伝来家宝を大切にすることは過去と現在を結ぶ、大切な文化である。
このように我々は様々な伝統や文化を通して先人たちの想いと繋がっているのである
しかし最近では歴史を捏造したり、文化を破壊したりする活動が見受けられる。
このような野蛮な行為を政治的な意図を持って行なっている集団が存在することは極めて危険である。
我々は伝統や文化をもっと大切にする必要がある。
もし自分の思いだけを通して、伝統や文化を大切にしなければその文明はやがて崩壊してしまうだろう。



    

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人はこの世とあの世という別次元の世界を往復する存在であることを輪廻転生という
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