夢についての考察
私の見た夢
今日の夢って一体なんだったろうかと考えたのですが、何か若い女性に嫌そうな顔をされるというものでした。
起きてああそうかと思っただけで終わりましたけれど、夢について心理分析と考察を述べたいと思います。
そういえば、河原にミドルな女性がいて、その人が何か子供と遊んで色々考えていたようだったなと、私は自身の夢の内容思い返していたのですけれどね。
夢について学者の見解
それはさておき、夢について考察する話ですが、
世の中には沢山の集合的無意識ってあるのではないかと、私は考えます。
ジークムント・フロイトというと、壊れやすそうなのが
神の啓示ではないかとは思います。

ジークムント・フロイト
カール・ユングなどは特に、壊れてしまった肉体的原因や痛んでしまう精神的原因を意識する事を考えると、結構外界の影響という場合もあるのではないでしょうか。
古くはユダヤ法典をやっていた子供時代にもらった予知夢に、間違いなく霊的なお告げはしみ込んでいたろうなと、私は思います。
なので、職業的夢解釈家と潜在思考というのがまだ需要があるのだろうと私は推測しているのですけれどね。
いつも旧約聖書のボランティアというと、色々とあるのですが、大概宗教がらみで、
何かの番組で見た宗教の詐欺というものもあり、社会ってこうなっているのかわと私も多少は考えたのは、そういう事だと思います。
つまり、悪い事をする人はどこにでもいるという事です。
子供の夢
バスで福島県から秋田県まで行くときに偶然耳にした子供の話だが、その子供は将来は医者になって人の役に立つという夢があると聞いた時、私には何だかあまりにも純粋で爽やかに聞こえた。
十代でそんな真っ正直に人間って生きられるものだろうかと私は考えたのですが、ご両親が立派なのか、飾っているだけなのか、でもすごく真面目に感じたものでした。
そういうことを書くと、よく父親の、お前は社会を知らない発言もついでに連想したりするのですけれどね。
父親の場合は、半分言っているだけだといつも思っていますし、別にそれでよいとも最近は思いました。
確かに社会を知らない所はあり、それで人によっては嫌がられ、変なものもよってくる、それ自体は困ってしまうのですが、それ以外の人たちで同じような人もやはりいるのですから、何とも言えません。
私が思うのは、物事には向き不向きは絶対にあるという事でしょうか。
勿論努力なども大事でしょうけれど、夢を持つことは大雪で、普通の人が出来ない事もやはり夢を持つことで可能になるものだと思っています。
環境などによって、人生というのは一瞬で変わってきたりすると思っています。
しかし、その子供は純粋だったなと私は今でも思うのですが、やはり10代と40代ではまるで夢というのは違うのは、当たり前でしょうね。
改めて若返りたいものです。