旧日本軍の失敗は軍縮にあった?明治期と明らかに違う昭和初期の旧日本軍

明治維新の際の官軍の実態は薩長を中心とした諸侯連合でしたが、戊辰戦争後の混乱期を経て徴兵制が敷かれると、明治政府の軍隊は急速に近代化していきます。

初期の軍首脳は、兵個人は弱いという前提に立って軍を作って行ったので、自ずと最新兵器の導入や新戦法の採用に積極的でした。

こうした路線の正しさは、西南戦争の際に立証されたといえます。

この後、軍首脳は一貫して新型兵器の開発に邁進します。

その結果が日清戦争や日露戦争での勝利へと繋がったのです。

ところが昭和になるとこうした流れは大きく変わり、最新兵器が無くても大和魂で敵を粉砕出来ると言う精神論が前面に出てきます。



原因は軍縮への過度の適応

日露戦争では個々の戦闘では勝利したものの、交渉の末に引き分けの形となったために、期待していた賠償金が取れず、日本は莫大な負債を背負うことになります。

そんな中でも軍の予算要求はかなり強いものがありましたが、この流れが変化したのは第一次世界大戦後のシベリア出兵の失敗でした。

またこの時期に世界的な軍縮の潮流もあり、軍の発言権は急速に低下し、日本でも急激な軍縮が行われました。

この結果として、これまで兵器開発に充てられていた予算も削らざるを得ず、旧日本軍は装備面で弱体化を始めます。

これを補うためにいわば苦肉の策として登場したのが、精神論です。

軍縮に過適応した結果が軍の変質をもたらしました。


軍の訓練は当たり前なのだが

近代軍隊は、優秀な兵器とそれを使いこなす訓練された兵士によって成り立ちます。
これはいわば常識であり、明治期の日本軍はそれを忠実に守っていたといえます。
ところが、日本が明治期に戦った清国やロシアでは、未熟な兵があまりにも多かったのです。
この事が、日本軍をして外国軍隊の兵は訓練が未熟だというイメージを植え付けてしまいました。
自分達の体験から、日本以外の全世界の軍隊はそうなのだと誤った類推をしてしまったのです。

兵の優劣の経験が強すぎた結果

明治期の対外戦争で経験した彼我の兵の訓練度の違いがあまりにも強烈だったために、兵器の優劣による勝利という点がすっかり抜け落ちてしまったのが、その後の破滅をもたらしたといえます。

正確には、予算さえあれば、もっと兵器開発を進められたのかもしれませんが、予算のない中で当事者がいわば自己暗示にかかってしまい、冷静な判断が出来なくなっていた面は否めないでしょう。





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