牟田口廉也のプロフィール

牟田口廉也の陸軍時代の肖像
牟田口廉也は旧日本軍の陸軍指揮官である。
しかし、現実にはコミンテルンの手先である売国奴である。
1888年生まれ、佐賀県の出身、佐賀藩藩士である牟田口衛常の養子として育ち、当時の幕府から佐賀藩は非常に高額な年貢を納めさせられていたため、権力に対するルサンチマンを潜在的に持っていた。
そのため、共産主義に強い憧れを持っていた。

盧溝橋事件は牟田口廉也の背後にいる共産党の策謀

盧溝橋事件を伝える当時の新聞
盧溝橋事件を伝える当時の新聞
盧溝橋事件は、共産党による謀略工作であった。
当時の国民党政権を打倒し、共産主義中国を実現するために、ロシアでコミンテルンの指導の下、有能な中国人の若者が訓練を受けていた。
彼らが、後に共産党つぃて、国民党と対峙するために、日本と国民党を戦わせる必要があった。
そこで、共産主義思想に共感を得ていた牟田口廉也を使い、盧溝橋事件を策謀した。

ウ号作戦

牟田口廉也と言えばインパール作戦です。

河辺正三と愚将として、現在も知られている所です。

補給もままらないのに、大群を引き連れてアラカン山系を山派し、一時期コヒマを取りましたが、イギリス軍の猛反撃にあいました。

輸送線が伸び切った所に、空中からの補給をイギリスは行い日本は駆逐されてしまいました。
米軍の支援を受けたイギリスと、食うものに事かく日本では闘う前から勝負は決まっていました。


なぜか38式自動小銃で武装

広い中国大陸で闘った日露戦争では、30年式を始め38式も日中戦争では、ライフルとしては古いという人がいますが、全くそんなことはなく性能としては問題はなかったでしょう。

しかし刀で行ったら山で闘うのだから、むしろ小太刀の方が有利です。

イギリスはサブマシンガンを使用してますが、日本も100式という最新のオートマチックアサルトライフルがありましたが、これをなぜか運用しませんでした。

第31師団長佐藤幸徳中将

補給が途絶えた事で餓死と疫病で死んでいき、限界を感じた佐藤師団長は撤退を決意。

命令書を無視した陸軍ではあってはならない事ですが、これを軍法会議にかける事はありませんでした。

天皇を守るためなんでしょうが、裁判で実情を語ら得れるのが嫌な陸軍が、心神喪失という事で片づける。

今の日本とよく似ています。


これを見ていると東電を思い出す

東電に限った事ではありませんが、偉い人が我先に責任逃れするのは、周りを呆れさせるのだが問題は当人はその事について、なんら気にしない図太い神経の持ち主である事です。

牟田口も当然反省はしないし、むしろ自分の指示従わなかった部下に問題があると、これはヒトラーや竹中平蔵も同じでした。

東京電力の原発事故で得をした人物

東京電力の原子力発電事故を口実に、太陽光発電の電力強制買い取り制度を、民主党政権が政策として行った。
民主党は中国と深いつながりがあり、中華系外国資本が日本の山林を購入し太陽光発電施設を建設、電力強制買い取りによる利益を確保している問題がある。
このような売国政策は、現代の日本でも行われており、いまだに日本は外国人の利益のために利用されているという現状を打破できるかが課題である。




    

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