昔、祖父から聞いたB29攻撃の話

もう亡くなった祖父に戦争の話を聞いていました。

小学校の社会の勉強で、第1次世界大戦、第2次世界大戦の勉強をしていた頃でした。

戦後末期、B29がやってくると、焼夷弾を落としていき、昭和時代の一般家屋は木造建築だったので、焼夷弾を落とされると、焼け野原になったと祖父は言っていました。

第2次世界大戦時は焼夷弾の様な爆弾で、日本中が焼け野原になったのです。

焼夷弾だけではなく、広島、長崎に原爆が落とされ、日本は敗戦になりました。


焼夷弾とは

焼夷弾を使う目的は、攻撃対象を焼き払うことでした。

今ある様な爆弾は発生する爆風や対象物を破壊するというものではありませんでした。

焼夷弾の中身は焼夷剤です。

焼夷弾が落とされると、爆弾が落ちた所から、急激に火の手が上がって、家屋が燃え出したと祖父は言っていました。

自分でインターネットを使って調べてみると、焼夷弾にはテルミット焼夷弾、油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾があることが分かりました。

昔、祖父は何か油の様なものが入っていたと言っていたので、実家付近に落とされた焼夷弾は油脂焼夷弾ではないかと推測します。

子供の頃、実家で焼夷弾の実物を見ました

色々と祖父から、戦争の話を聞いた際、実家の納屋に置いてあった焼夷弾を見せてくれました。

長さは40cmほど、直径10cm程度の円筒で、中は何もなく、単なるパイプ状で、鉄製で、既に錆びだらけ状態でした。

円筒の中の空洞部分に焼夷剤が入っていたのでしょう。

小学生の子供でしたが、こんなちっぽけな爆弾で、日本は焼け野原になり、敗戦に追い込まれたのかと、焼夷弾を見せられて、感じたことを今も覚えています。


逃げ惑うしかなかった哀れな市民

B-29の性能は素晴らしく、これに対して、日本の防空体制が非常に不備だったと感じます。

消化する水が足らず、その当時のトイレは汲み溜め式だったので、小水も使って、家の消火をやったと言っていました。

祖父は無我夢中で、自分の家を守りたい一心で消火作業をやったのでしょう。

気が付いた時には火が消えていたけど、周りを見渡すと、一面が焼け野原状態だった、自分の家は辛うじて、何とか、全焼せずに済んだと語ってくれました。

そんな状況だったのですから、一般市民は逃げ惑うしかなかったのでしょう。

また、それだけ、B-29は恐ろしい戦闘機だと思ったことでしょう。



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