アルティメットウォリアー
伝説の序章
1959年、アメリカに生まれたジェームズ・ヘルウィッグはボディビルに精を出す若者だった。
そんな彼は自身が務めるトレーニングジムにある男がやってきたことで運命が変わっていくのだった。
その男とはランディ・サベージ、後に世界最高の団体となるWWFで活躍するプロレスラーだった。
サベージは彼の屈強な肉体とハンサムな容貌に強いものを感じた。
そして、ささやいたのだった。
「プロレスをしないか」と。
ジェームズは彼の提案を受け入れた。
ここでボディビルダーからプロレスラーに転向することとなった。
誕生、超合金戦士
プロレスラーに転向したジェームズはやがて、サベージとともに1987年には世界最高の団体であったWWFに入ることとなった。
WWFの総裁であったビンス・マクマホンはジェームズの才覚にひかれた。
明るい風貌、そして身長198㎝超の巨体と怪力。
その陽性の性格は人気者になる可能性が大いにあった。
年々エゴが増長していくホーガンに代わる主役としてジェームズはビンスに見初められたのだった。
ここで誕生した。
「究極の戦士」ことアルティメット・ウォリアー。
ジェームズはウォリアーに転生をはたした。
ウォリアーはその破竹の進撃で連勝していった。
キャラクター設定は大いなる宇宙意思の声に従い戦う戦士という失笑気味のものだったが、彼がやると不思議と説得力があったのだ。
栄光と転落
そして、1990年。
ウォリアーはWWF世界ヘビー級王座とインターコンチネンタル王座の統一王座になった。
これは史上初めての出来事であった。
しかも、その対戦相手はハルク・ホーガンだった。
こうして、文字通り世界の頂点に輝いたウォリアーであったが、その転落は思っていたより早かった。
この時期より、WWFはアメリカ政府に追及されることとなった。
それはドーピング問題だった。
ホーガンのその肉体には、やはり薬物も多く影響していた。
ホーガンは国会で証言をするほどの大追及を受けた。
その次の標的はウォリアーだともいわれている。
次第にウォリアーではなくファンはナチュラルな肉体美をしたブレット・ハートに声援を送るようになった。
筋肉マンの時代は終わったのだ。
そして、1996年ウォリアーはWWEを退団することとなった。
その後、彼は団体に入っては繰り返し事実上その力は衰退していった。
英雄の帰還と死
多くの人がアルティメット・ウォリアーの存在を忘れていた。
遠く過ぎ去った過去の伝説、ウォリアーはそうなっていったのだ。
しかし、2014年。
ウォリアーが帰ってきた。
かつての肉体にはもう影もなかった。
見た目も老人になっていた。
だが、その眼つきは鋭さが残っていた。
かつて彼を応援していた子供たちも中年になっていた。
だが、それでもかまわなかったのだ。
ウォリアーはWWFからWWEに変わった団体のリングに上がり宣言をした。
「人はだれしも今日伝説になるわけではない。」
「激しい鍛錬を重ね傷ついて、声援を受けて初めて伝説になる。」
「今日もこの団体では若き野心家が集い鍛錬を重ねる。」
「それを支えるのは君たちなんだ、つまり君たちこそウォリアーなのだ。私の魂は永遠に残る。戦士たちがいる限り。」
ウォリアーは再び声援で包まれた。
英雄の伝説は終わっていなかったのだ。
しかし、この演説の数時間後だった。
彼はホテルで人生を終えた。
あるものは最後の別れにきたのではないかともいう。
英雄はここで神となった。
彼の魂はどこかでプロレスラーたちを見ているのかもしれない。