CFR(外交問題評議会の歴史

CFR(外交問題評議会)の成立の経緯

CFR(外交問題評議会)の設立は1921年となっている。
しかし、CFR(外交問題評議会)が現在のような枠組みになったのは1930年代になってからである。

CFR(外交問題評議会)の成立は、元々はアメリカの金融家や実業家や国際弁護士等が主催していた資金力が豊富な知的サロンである外交問題評議会と大調査と呼ばれる第1次世界対戦後世界秩序を検討するための知識人グループが合流し、現在のような枠組みとなった。


大調査は1918年にエドワードハウス大佐が、ウィルソン大統領の命令で国務省とは別の知識人によるグループの編成を求めた結果、発足した別の知識人グループによるシンクタンクである。

大調査のグループは、ベルサイユ講和会議にも加わり講和条約締結後も、イギリスと知的交流を継続させるために 、アメリカとイギリスの両国で共同の国際問題研究所を設置することで合意した。


その後、国際問題研究所支部がニューヨークとロンドンにそれぞれ設置された。

イギリスの研究機関は自立し、後にイギリスの外交政策の諮問機関である王立国際問題研究所となった。

一方アメリカでは、 既に存在していた外交問題評議会と大調査が合流し、現在のような枠組みになったのである。





CFR(外交問題評議会)が発足した理由

CFR(外交問題評議会)の発足理由は、第1次世界対戦後から、将来的にイギリスに代わってアメリカが覇権国になることが予想され、 その場合に、ウォール街を中心としたアメリカの資本がその利益を最大化できるような枠組みが必要だったからである。

そして、ウォール街を中心としたアメリカ資本の利益のために、アメリカを中心とした世界秩序を再編する必要性があったからである。





    

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