脱亜論の意味

脱亜論
脱亜論
脱亜論とは、世界に波及しつつあった西洋文明を、日本は学び、取り入れ自分たちの力に変えていくという考えであり、西洋文明の脅威によって次々と植民地化されていくアジアの人の宿命から、脱出しようという考えである。
なので日本は、中国や韓国などのほかのアジア文化圏の人々に期待することも頼ることもなく、日本は精神的にも文明的にも自存自衛の道を目指すという独立不羈の精神のことである。
この脱亜論を説いたのは福沢諭吉である。
なぜ福沢諭吉が脱亜論を説いたのかといえば、 当時の世界情勢を考えなければいけない。

西洋文明の近代化が脱亜論という結論を導いた

産業革命以降、西洋文明の近代化によって、西洋人たちは蒸気機関により世界各国をまたにかけて経済活動を行っていた。
その西洋文明の発達の源泉となったのは、紛れもなく人間の欲望であった。


西洋近代文明は目を見張るものではあるが、だからと言って西洋人が他の人種と違い優れているということでは決してない。
むしろ日本は、その技術を否定して目の前の現実から逃げることはできない。
逆に西洋の技術を積極的に学び取り入れ、 自分たちが変わることこそが、日本の発展にとって大事であるということが脱亜論の考えの中心である。



世界から取り残された中国や韓国

産業革命以降の世界は西洋文明による近代化の波が押し寄せているにも関わらず、当時の中国や韓国は、そのような文明には一切目もくれず、 自分たちの世界に閉じこもり、一部の特権階級の人間のメンツや表面的なものばかりを気にしていて、日本とは対照的に文明的にも精神的にも変わろうとする意思はなかった。
それは、現在の豊かな文明が発展した社会においても、 同じことが言え、中国や韓国では、教育といえばとりあえず儒教であり、今でもメンツや表面的なことを気にしてばかりいて、相変わらず精神の成熟度というものは旧態依然としている。
例えば、国際的な政治の舞台では、一切自分の非を認めることはなく、相手が全て悪いことにして恥という考えもない。
竹島しかり尖閣しかりである。


結果的に当時の西洋人から見たら日本人と中国人と韓国人の見た目はほとんど同じであるため、日本人がいくら立派に取り繕おうとしても、中国人や韓国人の振る舞いを見て同じアジア人種だとみなされてしまう可能性があった。
そのため、 中国や韓国など同じような文化圏の人々にともに発展していこうなどと期待することなく、そのような幻想を抱かずに、自分たちが変わることこそが大事であると福沢諭吉は脱亜論の中で語った。


これが脱亜論の執筆の背景である。

現在の情勢にも通じる脱亜論

脱亜論では、隣国という理由だけで、中国や韓国に特別な感情を抱く必要はないと説いている。
福沢諭吉が100年以上も前に、中国や韓国の本質を見抜き、現代の日本にも通じる忠告を発している文章であるから驚きである。


現在でも、 中国や韓国に期待し、 日本は彼らに大きな支援をしているが、その期待はことごとく裏切られ続けている。
隣国に対する巨額のODA投資や、科学技術支援などは、明らかに日本にとって軍事的な脅威となりつつある。
脱亜論で言っていることは、それは現代の日本においても、 同じことが言えるのではないだろうか?



    

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