神隠しが起きる?禁足地八幡の藪知らずの歴史
八幡の藪知らずとは
千葉県市川市、JR本八幡駅徒歩5分の場所に、江戸時代から続く
禁足地スポット「
八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」がある。
竹やぶに覆われた18平方メートル×18平方メートルほどの小さな森である。
ここには
不知森神社(しらずのもりじんじゃ)があり、神社の敷地までなら入ることが出来るが、それ以外は入れない様になっている。
入ると祟りが起きたり、
神隠しに遭ったりするそうだ。
信心深い地元の人間は禁足地と知っており、立ち入ることは滅多に無い。
»
そもそも、神隠しとは?
神隠しが起こると言われている理由
一見するとこじんまりとした竹やぶの森で、雰囲気はあるがとても神隠しが起きそうには見えない。
地元の人間に聞いても誰かが失踪したという話は聞かないし、そもそもそんなサイズでは無い、と言われる。
それもそのはず、この場所は、開発でかなり縮小してしまったそうなのだ。
昔から存在する八幡の藪知らずは様々な文献に登場している。
八幡の藪知らずの記述がある最古の文献は、1625(寛永二)年の「葛飾記」であるが、
「又、八幡宮鳥居まへより南方八わた町入口に八幡知らす゛の森と云フ古き森有り。森余り大キから す゛。高からす゛。然レと゛も、鬱々として其中見エ透カす゛。古木朽木の類、幾年か人の手に觸れさ゛る有
たちと゛ころ すく り。此森の内に入るもの無けれは゛也。若シ入れは゛、 竪 に駐み死して、出ツ゛る者なしと云ヘり。」
とあり、「森余り大きからず」の記述から、もともとそんなに大きな森ではなかったことが分かるが、「しかれども鬱々としてその中見え透かず」「この森の内?もし入れば?死して出ず?」の記述から、もうこの時代から中を窺い知れぬ森であり、もし入ったら死ぬ、身元不明になると言われていたことも分かる。
神隠しが起こると言われている由縁がここだろう。
「十方庵遊歴雑記」1814(文化十一)年にも記述がある。
「一 同所やはたしらす゛の藪は、八幡宮の門前、南側の路傍にあり、~中略~中凹の竹藪にして、細竹・漆の樹・松・杉・梅・栢・栗の樹なさ゛ふ き よく と゛さまさ゛まの雑樹生し゛、」
ここで注目すべきは植物群の記述である。
「中凹の竹藪にして、細竹・漆の樹・松・杉・梅・栢・栗の樹」とあり、現代の竹やぶよりも大きな樹木が生えていた様だ。鬱蒼とした森は神隠しに遭うといわれていてもおかしくないだろう。
なぜ禁足地とされているのか
駅近の国道沿いの土地なので開発に魅力的な場所であると思われる。
しかしながら、現代でも禁足地とされ、鬱蒼とした藪として存在し続けている八幡の藪知らず。
そもそもどうして禁足地とされているのだろうか。
「
千葉県東葛飾郡誌」1923(大正十二)年の記述にこうある 」
- 一、往古八幡神社を勸請したる舊地なりと傳ふ林中今尚ほ石造の小祠を存せり。(稲荷を祠る)
- 二、行徳の入會地なるか゛故に八幡町民の妄に入るを許さゝ゛りしを以て八幡不知と名つ゛けたり。
- 三、貴人の古墳なりしを以て里人をして恐れしめ以て之れを穢すを避けたり。
- 四、往昔毒瓦斯を發生する孔穴ありて、人附近に立寄れは゛必す゛死せり、又底無の小池ありて人落つれは゛又出つ゛る能はさ゛りし。
- 五、天慶年中平貞盛此に八門の陣を敷く、其将門を平け゛上洛するに臨み土人に告け゛て曰く、此は八門遁甲の陣にして死門の一角を遺す、後世人跡を容るゝ勿れ、犯さは゛必す゛崇ありと衆怖れ て入らす゛と。
- 六、萬治年間水戸黄門光圀、土人の言を聞きて奇異の思をなし、入りて神誠を蒙り、土人に 告く゛る樣、是れ凡人の足を容るへ゛き地に非す゛汝等決して禁を犯す勿れと愈々里人を恐れしめしと。
- 七、日本武尊の御陣所跡なれは゛恐れて入る事を禁せ゛しものならんと。
簡単に書くと、
- もともと八幡神社の土地で聖地だから
- 行徳の飛び地で八幡町民が入れない土地だったから(八幡知らずの語源)
- 貴人の墓(古墳)があるから
- 毒ガスと沼があって危ないから
- 八門遁甲の呪いがかかっているから
- 水戸黄門が入って神様に怒られたから
- ヤマトタケルが陣を張った場所だから
とされている。
かなり諸説があることが分かる。
この中で納得できる理由は1だけだろう。
2、3、4なら市川市が解決しているだろう。
5、6、7はそろそろ時効でも良いのではないだろうか。
葛飾八幡宮と八幡の藪知らず
八幡の藪知らずの管理は、葛飾八幡宮が行なっている。
八幡宮の権禰宜(ごんねぎ)の方が以前、インタビュー(2014/4/29 サンケイニュース)で
「藪知らずの土地は、放生会(ほうじょうえ)が行われていた場所だったので禁足地だったと考えている」と答えられている。
放生会とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し殺生を戒める宗教儀式である。(
https://g.co/kgs/UTCG6K)
やはり聖地のために単純に禁足地になったと考えるのが自然であり、八門遁甲の呪いだの神隠しだのは眉唾と思える。
しかしこの権禰宜の方は「祟りを恐れて竹の伐採を行う業者がなかなかいない」とも言っている。
小さくなっても、開発が進んでも、八幡の藪知らずは昔と変わらず地元民の畏怖の対象であることには変わりないようである。