神様の祟りから身を守る方法





神々の祟りは存在するのか否か

神々は、本来祟る為に存在するわけではない。
では、何故古来から「祟り」という言葉や現象が存在し、語り継がれているのかのを説明したい。

この世には「祟り神(たたりがみ)」と呼ばれる神様の存在は知っているだろうか。


怖がることなかれ、手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々のことを祟り神というのだ。

普段、人間は神様を祀り願い事をするのが本来の信仰であるが、中には罰当たりな態度をとる者もいる。

人間であれば、失礼なことをされれば反撃するなどの態度にでるが、神様は慈悲深いのである。

余程の事でない限りは、いちいち構ってはいられない。


そこで、神様の祟りの代わりに「加護しない」という判断をとるので、それも「祟り」として語り継がれてきたのである。

人間社会の法則や論理では制御不能な出来事が起こった際、大きな災いが自分の身におきた際に、それを強大な霊力の発現であると考え「呪い」だ「祟り」だと騒ぎ立てるのは、きっと神様も迷惑しているはずだ。



神々の祟りってどんなこと?

神々の祟りとは、具体的な例を挙げると、疫(えき)病などの感染症である。

人間に広がるタイプと農作物や家畜などの伝染病も含まれる。
疫病でも高熱を発するタイプは疫(やく)病とされ、特に恐れられた。

どの場合も原因不明の病気で対策がなく、人々を困らせるが、個人ではなく不特定多数への感染が特徴である。


似たような現象に、自然災害がある。

多くの人が困るが、神々の祟りとは区別された。

川の氾濫は、地域によっては、龍神様の怒りとされる。

また、干ばつも龍神様の怒りと言われ、おおらかな地域では神様の気まぐれと諦めてきた。

一方、川の氾濫は治水工事によって対策可能なことから、祟りではなく「水を治めるものは国を治める」と為政者の責任と考えられた。


この他、菅原道真公の祟りが有名である。
没後の不可解な落雷事故は怒りや恨みが原因として、魂を鎮めるために北野天満宮に神として祀られた。
神々の祟りの逆パターンである。

神々の祟りから身を守るための方法は、「身を清める」ことであり、神社を参拝する際の「手洗いとうがい」とされる。
「穢れ」即ち「不潔」を戒め、疫病予防を人々に伝えた名残である。



学問の神様 菅原道真公が祟りの神へと変身

平安時代に天皇や朝廷の側近として活躍していた「菅原道真」という人物をご存じの方もあるかと思う。
彼は後に、学問の神様として太宰府・天満宮に祀られますが、其の天満宮というのは天神様のことで、後に京都では北野天満宮、東京では湯島天神などとして祀られていることはご承知だ。

ところが、この菅原道真といえば学問の神の他に祟りの神としてもよく知れているのだ。

彼は、子供の頃から頭脳明晰な子で、その頃から神童とかエリート官僚といわれて人々に羨ましがられていたが、其の結果、同僚たちに恨みや妬みを買い、とうとう失脚させられてしまうのである。

その時の相手というのが当時の左大臣として同様に朝廷に仕えていた藤原時平であり、其の彼の讒言(ざんげん、 他人をおとしいれるため、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪く言うこと)や策略にはまってしまい、所謂、身に覚えのない罪によって九州の太宰府に突然に左遷されてしまうのだ。


その後彼は、京の都から遠く離れた九州の地で、57歳という若さでその生涯を終える。 

彼は、京に戻りたくおもいながら、特に時平には復讐の怨念を持って、やむなくこの世を去ることになるが、此の怨念や祟りが梅の香(天神様の梅は有名)とともに京まで届き、都での天災や疫病、変死事件が道真の死後になって始まるのである。



日本だけではない祟りという現象

「祟り」のタタリの語は神の顕現を表す「立ち有り(タツとアリの複合形)」が祟りの語源であるという定説がある。

神々だけではなく、御霊信仰の成立により人の死霊や生霊も祟りを及ぼすとされている。
また、日本だけでなく世界各国でも祟りの存在は信じられている。

本来は、人を救済するものであるはずの仏も、祖先を守るはずの先祖の霊も、神と同様に祟りをもたらすと考えられるようになったのである。

祀り、信仰をすれば守ってくれる存在の神々という説もある。

全国各地には「祟り地」と呼ばれる場所がいくつも存在する。


御神木を切ったら祟られた、土地を耕すと祟られるなどといわれているのだ。

所沢市の滝の城には、斧で切ると血を流したという「血の出る一本松」の伝説があるが、そのような祟りの伝説の話は各所にある。

神の使いと呼ばれたキツネや猫、蛇などを殺傷するなどしても祟りが起きると言われていたのだ。

それほど、神々を信仰をし同じくらいおびえてもいた歴史がある。




日本は神様があふれている

日本には八百万(やおよろず)の神様がいる。
この八百万というのは比喩で、たくさんの神様がいるんですよ、という日本ならではの考え方がある。
山や川、屋根や門にも神様がいる。
その中でもポピュラーなのは「お稲荷様」ではないだろうか。


お稲荷様と言えば狐だが、実は狐は神様ではない。
(厳密に言えば狐が御神体の神社もわずかにある)
狐は神様の眷族で、神様の使いとして存在している。


多くはウカノミタマや吒枳尼天を祀っている。

新宿の小田急デパートの屋上に豊川稲荷があったり、個人宅でお稲荷様を祀っているお宅があったりと、私たちの暮らしには神様が溶け込んでいるのだ。



神社の神は一般には山奥に鎮座している

「祟りじゃ・・、」といって人々を驚かせるのは、今では怪談物や妖怪者の映画やドラマでも実際に見られますが、昔は現在みたく科学が発達していないジ時代には真密かに信じられたいたフシもある。
一般に神々を祀る神社というのは、明るく賑やかな、華やかな場所には存在せず、山裾や山の中腹た山頂に社を構えて鎮座させているのが一般的である。

此のように、神というのは人々に助けや善を及ぼすときもあるが、一方では禍や祟りを及ぼるものとして普段のときは奥山の静かなところに鎮まっているように、祟を起こさないように祀ってあるのです、従って、祭神を「鎮座」するともいいますね。

其の「祟り」というのは一般には神や仏さん、其れに死者の霊魂などの超自然的な存在や行いが人間にとって災いを与えること、又、災いをもたらすことを意味するのだ。


特に、神の中でも現世に実在していた人物て、後に神になった人たちで、その要因として虐げられたり、裏切りにあったり、故意に無残に殺戮された人神などはその傾向が強いとされている。
其の代表的な神が神田明神の平将門や天満宮の菅原道真(天神さま)だとも言われているのはご承知のことである。



動かしてはいけない祠や社

さて、そんな神様を祀る祠が邪魔だからと撤去して、祟りがあったと聞いたことはないだろうか。
この現代に祟りだなんて馬鹿らしく思うかもしれない。
しかし実際に不幸が起きてしまった事例がある。
昔からある祠や社を動かすのはくれぐれも慎重に行ってほしい。




〜改築のために買った土地の祠を撤去した会社の話〜


これは、埼玉県のA市にある企業で、実際に起きたことだ。
この企業は新しく土地を購入して新社屋を建てることになった。
そして、その土地には古い祠があったのだ。
だが、その祠は地主が引き取る事になり、魂抜きの儀式がきちんと執り行われた。
そして工事が始まった。




しかし、工事業者が工事を始めた初日、目の前で交通事故が起きた。
そこは交通事故が起きるような場所ではない。
工事業者は信心深い人が多い。
おかしいと思い、会社に「祠の魂抜きの儀式はやったようだが、工事する土地自体の地鎮祭はやったのか」と問い合わせた。


すると、会社側は「地鎮祭はやっていない、やるつもりもない」と回答が来た。
会社は無駄な金を出したくなかったようだ。
魂抜きの儀式の代金も地主が出したものだった。


結局、工事業者が自分で地鎮祭を行ったという。
そして無事に工事が完了して新社屋が完成した。
新しい社屋に怪奇現象など皆無と思われるのだが、怪異は始まっていたのだ。



〜出勤を嫌がる夫〜
Bさんは困っていた。最近新社屋に勤務する事になった夫が「会社に行きたくない」というのだ。
元々昔から「見える人」である夫の言動には慣れていたBさんだが、「会社に行くと雰囲気が悪い」「弁当いらない、飯が食える場所じゃない」など言うのだ。
夫以外も「なんだか気分が悪い」と言う社員もいるようだ。


今までの経緯を夫から聞いていたBさんは不思議に思って夫に尋ねた。
「祠も魂抜きして、地鎮祭もやったんでしょ、何が問題なの?」
すると、夫の返事は信じがたいものだった。


「いや、あの祠、神様が夜寝るのに帰ってるだけで昼間はいないんだよ。
昼間いないのに、日中に魂抜きの儀式やっても無駄なわけ」
「え、じゃあ神様はどうしてるの?」
「家がなくなってそのへんウロウロしてる」


「!?」




その後、誰もいないのに社内でドアを閉める音が何回もしたり、人影が走り去ったりなど、社内全体で怪異が続いた。
そして、なんと新社屋で自殺者が出てしまった。第一発見者はBさんの夫だった。
怪異と関係は不明で、心を病んでいたようだが、これによって新社屋の雰囲気は更に重苦しいものになった。

〜K神社のお札〜
その後、自殺してしまった社員の母親が、近所の有名なK神社のお札を持って会社にやってきた。
そして申し訳ないと、第一発見者のBさんの夫にもお札をくれたそうだ。
現在、Bさんの夫曰く「ウロウしていた神様の姿が薄くなってきた」とのこと。


それと同時に社内の怪異も減ってきていて、Bさんの夫も弁当が食べられるようになりつつあると言う。
Bさんは夫が半年ぶりに「会社に行きたくない」と言わなくなってホッとしたそうだ。



自分勝手なお願いはケガのもと

神様はどこまでも慈悲深いのか?、それとも怒らせると禍いをもたらすものか。
言われはいろいろあるようだが、日本のご眷属様はよく祟る話を聞く。


ご眷属様の代表は、いわゆるお稲荷さんである。

西新宿のビルの間の草ぼうぼうの空き地に、小さい稲荷神社があった。
普通に通ったら見えないのだが、なんでも知る人ぞ知るパワースポットだという話だった。

ある時、興味本位で行ってみた。
社(やしろ)を守る人もいないような寂れ方なのだが、まだ新しそうな油揚げがお供えしてあった。

うちの祖母は、お稲荷さんにお願いするのは意外と怖いことだと言っていた。


都合のいい時にだけお願いに行き、あとは放ったらかしというのはお稲荷さんの怒りを買い、火事が出たり怪我したりとあるらしい。

むしろ願いが叶ってからの方が大切で、それ相応のお礼をしなければ祟られるということだ。


自分勝手な願掛けをしていたら、油揚げを持って謝りに行く。
願いをかなえてもらったら、感謝のお礼をする。


要は人間社会の人づきあいと同じということだろう。



消えつつある神様

しかし、気になるのは「神様の姿が薄くなってきた」ということだ。


消えつつある神様は、その土地を日中にパトロールして守っていてくれたのではないだろうか。
祠である家を失い回復できず、今まで抑えていた魑魅魍魎が新社屋にあるその土地に現れて悪い影響を与え、その結果自殺者まで出てしまったのではないだろうか。
もし、会社側が最初から土地や祠に対して誠実に向き合っていたら、結果が違っていたかもしれない、
今はK神社のお札によって、一時的に怪異を抑えられるかもしれない。
だが、会社側が根本から神様に対する考えを改めないと、また不幸が繰り返されてしまうだろう。



最後に

日本には八百万の神様がいるが、ひょっとしたら今この瞬間にも、一体の神様が消えているのかもしれない。


時にはそんな神様の存在について、意識してみて欲しい。
そして、今まで人々のために心を砕いてきてくれた神様に対して、せめて最後に感謝の念を伝えてはいかがだろうか。


本当に、有り難うございました、と。





    

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事故で動かせなかった羽田大鳥居の現在
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