沖縄のパワースポット
斎場御嶽である
初めて家族全員で沖縄旅行に行った時の話だ。
上の子の卒業と下の子が精神的に不安定な心を癒すため2泊3日の沖縄旅行を企画した。
沖縄に4年住んでいた上の子は家と大学とアルバイト先のトライアングルの生活で観光はしていなかった。
雨が降っており、沖縄で有名な美ら海水族館を一日目とした。
その翌日旅行前日に買い込んだ沖縄のガイドブックを頼りに斎場御嶽にした。
その日は天気が良く多くの観光客がガイドにつられてきていた。
はじめ説明が上の方であり、ガイドをする女性の指示が私たち以外にも聞こえていた。
精神的に不安定な子供にとって、もしかしたらガイドが言うように
パワースポットの
斎場御嶽の岩で取った家族写真は、
希望の光になるような気がした。
夫はそういうことには無関心だし、私も疎かったが、子供のために何かしたくてこの旅行に来た。
はじめてかかった
心療内科の医師も言ってよいというお墨付きをもらってきた。
多くの観光客が我先にとパワースポットの前で写真を撮った。
再建された首里城
首里城は、太平洋戦争末期の沖縄戦の時に、米軍の焼夷弾によって破壊されてしまう。
その後長い年月を経て、
小泉政権の時に首里城の復興プロジェクトが計画された。
そして2019年の火災で燃えるまでの間に首里城の再建がされていたのである。
これが現在の
2000円札に描かれてい
首里城のイメージるである。
首里城の再建には、 当時の写真や資料などを検証しており、なぜか
中国様式の城になっている。
首里城は
中国文化の影響を根強く受けた建築様式であると考えられていたが、現代の技術で当時の白黒写真をカラー写真に再現したところ、首里城の色は漆塗りの赤ではなく、
木の色そのままであった。
また中国のように、 屋根が大きく湾曲しておらず、まっすぐな作りになっているが、首里城再建プロジェクトの担当者が
意図的にデザインを変更し中国様式に見せるようにしたのである。
そのため、 首里城のイメージさえも
真っ赤にしてしまう、中国の影響が及んでいるというのではないかと言う懸念がある。
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中国による沖縄の合併についての動きはこちらです。