学会員は創価学会原理主義でいいのか?

信心根本という生き方に対して

信心根本というのは、 いついかなる時も宗教を人生の根本として、その教義に則り人生を生きていくということである。
信心とは信じる心であり、創価学会の教義であるとされる日蓮仏法をいついかなる時も信奉し、自らの人生の生き方を一生涯宗教に捧げるということである。
そうすることによって、 自らが過去世で犯した罪を全て清算し、清らかの魂で来世を安穏に送るということが、人生の目的となっている。
つまり信心根本ということは、「お前はすでに死んでいる」のであるとも言い換えられるわけである。
また別の言い方をすれば、今の自分の人生を生き抜くということにも捉えられる二つの側面がある。
その結果どうなったかといえば、 創価学会の学会員は、政府のグローバリズム政策によって完全に二極化している。
貧しい人は、 自分の今の境遇を自らの罪として、貧しくとも創価学会の信仰だけは、意地でも死ぬまで続けているという覚悟で生活を送っている。
そして、自らを貧しくし、多くの人を塗炭の苦しみを味わわせるグローバリズム政策を推進する公明党を喜んで応援しているのである。
そして、創価学会の信仰とともに生きた結果、グローバリズムによって豊かになった人は、 全ての因果応報を創価学会の信心によるものであると置き換え、その豊かな生活を維持するために、創価学会の活動を意地でも死ぬまで行っていくという覚悟で人生を送っている。
つまりどっちみち、信心根本と言うな創価学会の教義の奴隷であるということではないだろうか?

そして、本人が幸せであれば創価学会の奴隷でいいのかもしれないが、しかし、創価学会と公明党が裏で行なってきた様々な社会的な諸悪の根源は信心根本の思想が原動力となっているのである。
そして信心根本の人が創価学会の原動力となって、未だに日本は戦後のアメリカ軍によって押し付けられた嘘の歴史観に基づいた偽りの平和憲法という名の日本国憲法を堅持している。
そして学校では、 教育の名のもとにアメリカや中国によって創作された偽りの日本の歴史を堂々と次世代の子供たちに教えているのである。
その結果、子供達は反日教育によって嘘の歴史を教えられ日本に対し自信をなくしている。
そして、未だに交戦権と日本の独立と主権を認めない日本国憲法を平和のための憲法だと思い込み、偽りの平和憲法を堅持し日本の自主独立を阻害する勢力として公明党は存在しているのが結果である。
信心根本と言えば、本人の人生においては、原動力かもしれないが社会全体においては、大きな足枷となっているようである。



創価学会の一部の人は今でも信心根本だ

創価学会員は、男女問わず、年齢問わず全国にかなりの数を誇る。
そういう私も創価学会員であるため信心根本とはどのようなことかについて書く。
私の場合は、祖母、母が会員で学会内では、3世という形なる。
私の体験からいうと、学会員の方は、何故あそこまで人の為に親切に行動できるのかが全く理解できない。
しかし、その裏には宗教という思想が存在しているのが現実である。

» 創価学会の学会員の特徴や行動について

創価学会の宗教思想とは神様、仏様ではなく、自分自身に信心していくのが基本となっている。
人に頼るばかりではなく、人が困っていれば応援して良い結果が訪れますようにと勤行をする。
そうやって宗教に勧誘していくのである。
熱心な方の、モチベーションがどこから湧いてくるのか。
3世ともなると信心根本な人たちの精神は理解不能な域ではあるが、想像するとその熱意をお仕事に掛け合わせるとそれなりにから元気で心強くなる。

信心、勤行、池田大先生のワードを理解すると、創価学会についてなんとなく概要がわかってしまう。

ちなみに、学会の人は基本的に神社、お寺にはいかないし日本の伝統や文化に対してあまり興味や関心がない。
初詣もいかない。
行くなら、会館。全国に散らばっている会員の為にある会館である。
正月早々から初詣に行かず宗教施設に行くのだから一般社会から見れば非常にびっくりしているだろう。
私も神社や仏閣に行かないことを恥ずかしいと思った事は、一度もないが、小さい頃から叩き込まれている所もあり神社、お寺には行った事がなかった。
もし、あなたも興味があるなら会館に一度取材に行ってみると、非常に勇気はあるし、無事に帰れる保証はないけど、興味本位で行ってみると良いのではないだろうか?




    

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