当時のドイツ国民は、ナチスに熱狂した。
驚くことに、ヒトラーは正当に権力を掌握していた。
ヒトラーに対する批判は、スターリンや毛沢東を凌いでいます。
スターリンも毛沢東も、
案外好意的に受け止められることがあります。
しかしその弾圧、粛清に関しては、ヒトラーと同程度かそれ以上にひどいと言われます。
にもかかわらず、ヒトラーがより非難されるのは、
第二次世界大戦で連合国と戦ったからかもしれません。
現在において、北朝鮮を「ならず者国家」と評した政治家がいましたが、ナチス・ドイツもそのようにみなされるかもしれません。
しかし、意外かも知れませんが、ヒトラーは合法的に政権を摂っていたのです。
少なくとも表面上は、ワイマール憲法下、選挙で民意を確かめながら、首相に就任し、なんら非合法的でなく総統の地位に就きました。
つまりヒトラーは表面的には、民主主義的正当性がありなんら非難されるものは無かったのです。
なぜドイツ国民は、ヒトラーを礼賛していったのか。
現在のヒトラー及びナチスに対する評価は、全体国家主義に毒された非人道的、悪魔的な輩であるという印象ではないでしょうか。
中期及び後期におけるヒトラー及びナチスは、
その評価が当てはまると言えます。
しかし、ならばその悪魔的所業にドイツ国民はなぜ承認するような結果になったのでしょうか。
ドイツ国民には元来、倫理性人道性が欠落していたのでしょうか?。
当時のドイツを取り巻く状況をみれば、ドイツでは失業者があふれ、経済的に困窮していました。
世界第一次大戦の敗戦国であったドイツは、莫大な賠償金を支払わなければなりませんでした。
そのことも大きな負担となって、ドイツ国民は経済的にも精神的にも追い詰められた状態だったのです。
ヒトラーはそのドイツの経済政策に力を入れました。
「失業対策と経済再建」を謳い、4年間で見事に達成したといいます。
特に飢えと失業の苦しみにさらされていた労働者階級にとって、著しく生活が改善されたのです。
ナチスがドイツ国民を救った政策とは?
ヒトラーは健康管理にも力を入れ、国民の健康状態も目に見えて良くなりました。
これがドイツ国民にヒトラーを支持させた。
他にも国民が支持した政策はありますが、特に熱狂的に受け入れられたのが、1933年に国際連盟と軍縮会議から脱退したときの次の言葉でした。
「いかなる権利も平等も持たないこのような機構の一員として名を連ねることは、名誉を重んじる6500万人の国民とその政府にとって、耐え難い屈辱である」
それまでヴェルサイユ平和条約によって、過酷で屈辱的な苦痛を強いられていたドイツ国民は、ヒトラーを熱狂的に支持したのです。
さらに、1936年の「ベルリンオリンピック」もヒトラーは成功させました。
メダルでは、金が33個で参加国で一番多かったのです。
ちなみにこのオリンピックで、日本では金6個を含む18個のメダルを獲得しました。
特に前畑秀子選手の平泳ぎには、「前畑、頑張れ!」の実況中継、金メダル獲得に、日本中が沸きかえったのです。
日本の活躍を見ても想像が付きますが、開催国ドイツでは、どれほどの興奮と歓喜に国民は酔いしれたでしょう。
この大成功は、ヒトラーが導いたのです。
ドイツ国民がヒトラーに熱狂し、一丸となって支持していった過程がよくわかるエピソードです。
最凶の独裁者アドルフ・ヒトラーとは?
アドルフ・ヒトラーはナチスの指導者であり、ドイツ国家元首、総統としてナチスそしてドイツを率いた。
ヒトラーには不思議なカリスマ性があり、演説ではその力を存分に発揮した。
聴衆は熱狂し、ヒトラーを救世主と崇めた。
しかしその一方で、演説に興奮した青年が翌日の新聞でヒトラーの演説全文が載っていたので読んでみたが、「こんな薄い内容だったのか・・・」と落胆したという。
それくらい中身のない話でも、振る舞いと独特の魅力、あるいは不思議な力で強引にでもその場にいる人々を熱狂させるのだった。
ヒトラーに人生はどのようなものだったのか?
まとめ
どの国でも、またどの時代でも、政治家はきれいごとだけではやっていけません。
権謀術数や権力闘争をしない権力者など皆無ででしょう。
が彼らは、その時代、状況における正当な理由付けをもって、権力を掌握します。
ヒトラーも然りでした。正当に、熱狂的な民衆の支持を集めた政治家だったのです。
政治家冥利につきるでしょう。
しかし、逆にそのことが、ヒトラーとドイツ国民を過激化させました。
現在でも、一人だけを支持することで、悲劇を孕む事例は多々あります。
全体主義が一つに固まってしまうとき、過激化し悲劇を生むことを、心したいものです。
今になってナチスが残したものの話
私達はナチスに関する作品に触れることもある。
例えば映画やドラマなどでナチスを見ることが多いのだ。
そういうコンテンツの一部としてナチスの影響は大きかったのだと感じるのだ。
つまり私達はまだナチスの影響を完全に忘れていないのである。