零式艦上戦闘機二一型の誕生

日本海軍は九六式艦上戦闘機の後継機として、零式艦上戦闘機を完成させました。

いわゆる零戦と言われるこの機体は、非常に軽量で小回りがきき、攻撃力が高く、当時としては驚異的な航続距離を誇っていました。
中国戦線に投入されてバリバリ活躍していたのですが、機体の強度不足ではないか?という事でテスト飛行をしたのです。

そこで機体が急上昇した時に空中分解をしてしまったそうです。

因みにこの型は一一型です。

この時のプロトタイプの零戦のテストパイロットである下川大尉は殉職。

この問題を解決して登場したのが二一型となるのです。

零式艦上戦闘機三二型が登場するものの・・・

日米が開戦して、日本海軍の主力戦闘機の零式艦上戦闘機二一型は各地で大活躍しています。


太平洋戦争の初期では、零戦1機で敵機を10機撃墜するなど容易かったそうです。

いや、容易すぎるといったほうがいいのかもしれませんね。

この時の日本海軍のパイロットの技量も世界一でした。

それと相まって零戦の高性能が発揮されたのでしょう。


そこで二一型を改良した三二型が登場したものの、パイロット達からは「不評」だったのです。


先ず航続距離が1000km低下している事と、零戦の運動性能(旋回性能)が低下しているというのです。

これはエンジンを大きくしたために、重量が増して燃料を搭載するタンクを小さくしたために生じたトラブルでした。

零式艦上戦闘機五二型

三二型の欠点を改良した型として、昭和18年に生産を開始された型が、零式艦上戦闘機五二型の登場です。


航続距離は三二型より回復しており、機銃携行弾数を60発から125発に強化、速力も565kmを発揮 旋回性能も回復という事で二一型に次ぐ海軍の主力戦闘機として登場したのです。


名門のラバウル航空隊からは「二一型と新型の五二型を送ってくれ!」という電文が内地に届いていたそうです。


幻のジェット戦闘機「橘花」

太平洋戦争末期には日本軍の戦闘機である零戦はもはや陳腐化していて、マスタングにボコボコにされておりました。
もはや戦う術はなかったのですが、ナチスドイツのジェットエンジン技術を断片的に入手し、後は想像力だけで6時にジェットエンジンを開発。

ジェットエンジン搭載の零戦は、橘花とよ呼ばれる、歴史に葬られた幻の戦闘機となりました。
しかしそもそもジェットエンジン自体が、大量の燃料を必要としており、石油の備蓄が底をついた日本にとっては、 ただの鉄の塊でしかありませんでした。
もしも日本に、鉄と石油と優秀なパイロットが残っていれば、日本の空襲は防げたのではないでしょうか?
というよりも、 ジェットエンジンの高速巡航を利用した特攻機として使用すれば、米軍をもっと恐怖に陥れられた思います。

零戦の終焉

大活躍をしていた零戦ですが、圧倒的な物量を誇るアメリカ軍に次第に押されていってしまいます。

エースパイロットも次々と戦死。

機体の消耗。

補充も追いつかない。

そうしているうちに、サイパン島の陥落やグアム島の陥落で絶対国防圏も崩壊してしまいました。

連合艦隊もレイテ沖海戦で壊滅。
残された手段が零戦に250kg爆弾をくくりつけて敵艦目掛けて突っ込む、特攻攻撃しかんくなったのです。

零戦も自らの手と海軍の作戦により零戦の命を終わらせていったのです。



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