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エホバの証人の宗教としての立ち位置
エホバ信者が一般社会で引き起こす社会問題について論じていく。
まず、エホバの証人についてはキリスト系宗教と紹介されることが多いが、大きくカトリック派、プロテスタント派に分かれる正規と言えるトキリスト教としては、あくまで異端という扱いで、同じキリスト教とは認めていない。
その理由は、経典に聖書と名の付くものこそ使ってはいるが、独自解釈によって編集されたものであることと、キリスト教の基本信念である“三位一体”を信じていないからである。
また、キリスト教ではあくまでイエス=キリストが救世主であり、信仰の対象だが、エホバの証人ではその父なる神の方を信仰しており、正規なキリスト教とは教え方、考え方が全く異なる。
尚、「エホバ」とはその父なる神のことだが、キリスト教ではその名前は人間では発音できないとされており、聖書中でも「神」や「創造主」などとしか表現されていない。
このように、エホバの証人はキリスト教にルーツがある宗教には違いないが、同教としてはそれとは異なる新興宗教だという扱いをしている。
よって、カトリック派、プロテスタント派は教派を超えた集いを催すこともあるが、そのようなものにも一切参加することはない。
エホバの証人と輸血
著者である私は、医療現場で勤務している。
そこで遭遇したのが、エホバの証人であるがゆえに輸血を拒否したケースだった。
宗教・信仰の自由において、エホバの証人の思想に対して私たちは何も言える立場ではない。
しかし、病院に運ばれてきた以上、必要な治療を行うのが医療者の立場として当然である。
だが、エホバの証人であるからという理由で輸血を拒否されたら、輸血が不可欠な治療の場合継続治療することはできない。
エホバの証人において、輸血を拒否するということは、聖書に書かれていることを信仰しているからである。
聖書には、血を避けるようにと書かれていることから、つまり輸血はエホバの証人にとって避けるべきことであるとされる。
医療者側からすると輸血が不可欠な場合、輸血の必要性を説くのは当然である。
しかし、それを説得されるのは、信仰の自由の侵害といわれることがあるので、注意が必要である。
そのため、大病院では、エホバの証人に対するマニュアルというのが存在するほど社会問題となってる。
エホバの証人における輸血拒否の問題点と、そこに感じる「自由」の意味について
エホバの証人といえば、手術などで輸血を拒否するという事例が印象的だ。
彼らの主張するところによれば、聖書に「生き物の血を食べてはならない」という記述があり、それに基づくと他人の血を体内に入れる行為もキリストの教えに反する、ということになるようだ。
実際、過去にエホバの信者が重篤な怪我をした際、その患者の命を救うことを第一義とした医者によって輸血が行われたが、その是非を巡って裁判に発展してしまった例もある。
何を信ずるかという信教の自由は、我々人間が持つ基本的人権の1つである。
しかし、人権とは「人として生きる権利」であり、その根本には生命の自由があるはずだ。
その場合、生きるためにすべきである輸血を拒否するというのは、果たして基本的人権を果たしていることになるのであろうか。
自らが進んでそのような信仰をしているのなら、部外者がとやかく言うべきではないのかもしれない。
しかし、その考え方を親族などの身内に強いるのはどうだろうか。
信教の自由を強制してしまったとしたら、それは果たして本当の自由と言えるのだろうか。
同級生が2世信者
中学時代の同級生がエホバの信者の2世信者だった。
当初は気にならなかったが、柔道や剣道などの体育の武道系の時間は必ず見学していた。
「事情があって」と本人は言っていたのを覚えている。
部活も理科クラブだった。
しかし単純な体育競技(50m走や幅跳び、球技など)は参加できるようで、その際は大活躍。
身体能力が非常に高く、筋肉質で足も速くヒーローだった。
もしも運動系の部活に入っていればよいアスリートになっていただろうに、と中学生ながら感じたのを覚えている。
その後、別の友人から彼はエホバの信者であることを聞かされる。
中学時代なぞ異性に興味が出る時代。
猥談やそっち系の話題が出る時も彼は我々と距離を置いていた。
後々知ったが、”それらの行為”は全て認められない教義なのだと。
自慰行為も許されないと。
はっきり言って可哀そうだと思った。
バレンタインの日。
女子がチョコを渡そうとして、「ごめん、もらえないから。とにかくもらえないから」と、奥歯に何か挟まったような言い方で断っていたのを目撃した。
彼らはクリスマスやハロウィン、バレンタインや誕生日などのイベントにも参加しないのだという。
成人して、自身のイデオロギーのもと活動するのであれば別だろうが、まだ未熟かつ多感な中学生の段階でそれらを強いられるのは酷だと感じた。
とても優しくていいヤツだったので印象に残っている。
学校の養護教諭もエホバでした
私がある中学校の教頭として勤務しているときの話である。
4月の新採で宮崎あおいそっくりの養護教諭が赴任してきた。
大学を卒業したばかりであったが、仕事もよくでき、人柄も素敵な養護教諭であった。
歓迎会で式次第で乾杯になると、進行役の教員から今年度は「乾杯しない」という知らせがあった。
その場はすんなり終わったが、翌日、校長から私に理由を尋ねられたがわからなかった。
よって幹事の教員に理由を尋ねると、本年度赴任してきた養護教諭がエホバの証人であることがわかった。
その後の飲み会でも彼女は乾杯に参加することはなかった。
また、入学式の時は気が付かなかったが、体育大会での国旗掲揚と国家斉唱もその場にいたが、国家斉唱もせずに立ったままであった。
校長が知り合いの校長に尋ねて情報を集めたところ、彼女の家族はエホバ関係ではなく、彼女だけが大学時代にエホバに入信したということだった。
私は教頭として、エホバを非難するのでなく、生徒や学校、養護教諭自身に支障のない範囲で職務に携わってほしいと指導をしてきた。
エホバの証人は一家を破壊した!
これは、現実に起きた出来事です。
私の職場の部下がある日、非常に元気が無く尋ねると父と母がもめていて家庭環境が悪いと言っていました。
そのご両親の喧嘩の原因は、お母様がエホバの証人に加入者になったことでした。
それから、彼の悩みは解決するどころか日に日に痩せていく姿でした。
お母様は、時にご自宅に帰らずエホバの証人の集会場に泊まる回数が増えて来たとのことでした。
そして家のお金は少額で有りますが無くなっていることにお父様が気づきお母様を疑い喧嘩がエスカレートしていたからです。
当時は、新築をお父様が建てたばかりで家のローンが開始されたばかりです。
仲良く家族で住み過ごす予定でしたが毎日、罵声の嵐で気が休まる事は無かったとのことでした。
そんな環境の中でお母様は、銀行に行き100万円を勝手におろしエホバの証人に寄付(お布施)したのです。
私は、以前この部下の家に何度も足を運んだことがありご両親に逢いに行きました。
お母様は、別人格の人に変わっていました。
そして、離婚する事になり夢のマイホーム新築は手放すことになりました。
第三者の私からの意見ですがエホバの証人が原因でありこの出来事に成ったと思います。
何の為の宗教なのか?と心底から感じます。