兵站が確保されていなかった
旧日本軍の最大の失敗は、兵站を当初から確保していなかった点にある。
兵站の機能不全に依って旧日本軍は食物はもちろん、軍需品も医薬品も前線に届かず、現場の兵士達は大変な苦労を味わうことになった。
空腹、足りない軍備での中の戦闘が続く中、
怪我をした兵士達は野戦病院に入れるので、自らを銃で撃つ者まで出てきた。
しかし、これは兵士の手に硝煙反応が残るので、すぐバレてしまう。
そうした兵士達は怪我も重くないので、注意を受けた後、また前線へと送らた。
これ程の厭戦気分が、前線で戦う兵士達の間に蔓延していたのである。
日本軍を襲う飢餓と貧困
南方に送られた隊は、特に悲惨であったことは知られるところであるが、人間にとって食料が無いことは一番辛いことであろう。
雑草、動物等を食べ尽くしてしまった後、どうするか。
これは真に極限状態に陥った者にしか理解できないであろう。
兵士達の中には、死んだ仲間の肉を食べる者まで現れる。
のみならず、脱走した隊の上官が部下達と共に、偵察に来る生きた日本兵士を襲って食べることまでしたのである。
この上官は捉えられ、死刑に処されているが、友軍に襲われ食べられるという、おぞましいことまで行われていた訳である。
負傷すると置いて行かれ、自死を強要される
また、負傷した兵士は野戦病院で手当てを受けるが、敵が迫ってくると隊は移動しなければならない。
その際、重傷者は置いて行かれるのである。手には手榴弾が渡される。
自決をしろという事である。
しかし、中には自分が隊の行動に付いていけないことを知り、自ら自爆しする者もいて、仲間の涙を誘った。
衛生兵に処置される
隊の中には、移動前に自分で歩けない重傷者の処分をすることまで行われた。
「元気の出る注射だから」と、安楽死をさせる薬を打って行ったのである。
中には「これは人殺しじゃないか、衛生兵!」と、叫ぶ兵士もいて、日本を離れた戦地で仲間に殺される気持ちを考えるとやりきれない。